生まれてくる人たち
ガッツキ指数

 南米大陸の、赤道からほんの少し下がった大陸の西側。ブラジル、セアラ州にアラカチという小さな町がある。アラカチというのは、インディオの言葉で「海からふく風」という意味だ。大西洋にほど近いこの町には、ときおり名前のとおりの気持ちいい風がふいていた。

 日中の強い日ざしを避けて、人々は家の前に椅子を出して夕涼みをする。そこには大人がいて老人がいて子どもがいて、ティーンエイジャーがいて、身障者がいて、赤ん坊がいる。町のあちこちで馬とロバが道路を行き交い、人間と同じようにネコや犬も町の風景に溶け込んでいる。
 いろいろな肌の色のいろいろな年令の人々、いろいろな種類と年令の動物たち。それぞれがいっしょに空間をつくっているこの町は、とても健康的に思える。

 そんな町の風景を、私は公立病院の二階にある部屋から眺めていた。病院の前には牛のシッポを煮込んだおいしいシチューを食べさせる食堂があり、そのとなりにはビール工場の倉庫があった。病院の入り口では病人たちのひそひそした会話と、生まれたばかりの赤ちゃんをうれしそうに胸に抱いて退院する家族の笑い声が交差していた。

 その窓から、いくつの日々のアラカチを見て過ごしたことだろう。私はお産の風景と生まれたばかりの赤ちゃんを撮影するために、その病院に何度も泊まり込んでいたのだった。カソリック教会が運営しているこの病院では、シスターの看護婦がお産を介助していて、分娩室には暖かい雰囲気が漂っていた。

 無事に生まれると、シスターは母親の胸の上に赤ちゃんを乗せる。母親たちはなんのためらいもなく、赤ちゃんをすっぽりと腕の中に入れる。その抱き方がとても自然なので驚いてしまった。
 日本の分娩室で見ていると、生まれたばかりの赤ちゃんを「はい」と渡されたとき、どうやって抱いていいのか戸惑ってしまう母親がけっこういるのだ。実際、生まれたばかりのヒトはぬめぬめしていて裸のままだとちょっと抱きにくい。おっことしてしまうんじゃないかと、不安にもなる。助産婦に支えられてようやく腕の中に抱いても、赤ちゃんの顔を乳首までもっていく動作は学習したことのない未知の世界だから、これがなかなかうまくできない。

 ところがどっこいアラカチの母親たちは、「おっぱい吸わせてね」と看護婦に声にをかけられると、「そうね」とばかり乳首に赤ちゃんの口をもっていく。それが無造作にできているのだ。私が見ていた二十人ほどの産婦の中ではひとりだけ、乳首のくわえさせ方がわからずに看護婦に手伝ってもらっていた初産の女性がいたけれど、それ以外の人はすべてすんなり。ティーンエイジャーの母親も例外ではなかった。

 もちろん経産婦が多いというのも理由なのだろうけれど、普段の生活の中で子どもや赤ちゃんに触れる機会が多かったり、授乳している人を身近に見ているからなのかもしれない。ブラジルは子だくさん。そこら中に子どもや赤ちゃんが溢れているのだ。
 さらに、生まれてきた赤ちゃんのガッツキ指数も日本より高いような気がした。乳首のそばに近づくと、あら不思議、首を傾けておっぱいを探す仕種をして、このときすでに口をパクパクさせている。

 哺乳類の赤ん坊とはいえ、人間の場合は生まれてすぐに乳首にうまく吸いつける赤ちゃんばかりではない。なにしろ生まれてはじめての行為なのだし、母親も慣れていなければなおさらだ。授乳はふたりがダンスをするように、手に手をとって練習するものと言われているくらいだから、うまく吸えるようになるまでにはけっこう時間がかかるものなのだ。

 すんなりパクっと乳首に吸いついているブラジルの赤ちゃんたちを見ていると、生まれた瞬間からなんて生きることに積極的なんだろうと、ほれぼれしてしまうのである。

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匍匐前進

 動物の赤ちゃんは生まれると、目が見えないころから母親のおっぱいをまさぐって、乳首を吸う。ブタの赤ちゃんなどはいっぺんに何匹も生まれるのに、あたかも指定されてでもいたかのように、自分の乳首を探り当てる。この世に生まれてきたからと言って、親切に世話をしてくれるだれかがいない彼らにとっては、赤ん坊とはいえそうしなければサバイバルできないのだ。

 なんと、人間の赤ちゃんも生まれた直後に母親のおなかの上に乗せておくと、母親のおっぱいを探そうと動きだすと言われている。中にはずりずりと這い上がっていって、母親の乳首をくわえる(あるいはくわえようとする)赤ちゃんもいるという驚くべき話もある。
「そんなこと見たことも聞いたこともない」とだれもが思うこのお話。しかしこれもまた、まっこうから否定する根拠はどこにも見当たらない。実際、今どきの分娩室では、出産直後に赤ちゃんを母親の胸に抱かせる時間を用意している施設は少ないし、たとえ胸に抱かせたとしても、赤ちゃんが乳首を探り当てるまでじっくり待ってみましょうという時間の余裕をもてる人々はいないから、だれも見たことがなかったのだ。

 これを日本に紹介したのはスウェーデン人のリグハート小児科医。その話を聞いて神戸にある助産院が実験したという話を聞いた。残念ながら私は、その実際を見たことはないのだが、ほんとうに赤ちゃんは乳首に向かってイモムシのように移動するのだそうだ。とはいえ、歩くわけにもいかない、腕の力もさほどもちあわせていない赤ちゃんにとって、母親のおなかの上を匍匐前進するにはそうとうな体力と時間がかかる。それでも腕と膝をつかって、赤ちゃんはなんとかずりずりと前進し、中には2時間ほどかけて実際に乳首に吸いつく赤ちゃんもいるらしい。

 それにしても分娩台の上で二時間、匍匐前進する赤ちゃんをじっと辛抱強く待っているというのは、気の遠くなるような時間だ。陣痛のときの二時間とはわけが違う。たいていは、産んでしまったら分娩台から移動しなければならないし、医療者だって忙しい。第一それが今の社会に必要なことだとは到底思えない。だってわれわれは人間なのだ、動物じゃない。母親が赤ちゃんをすっと抱き上げて、乳首のところへもっていってあげることなど朝飯前。哺乳瓶でミルクをあげることだって簡単にできる。
 けれど、ヒトとして生まれ、数10万年たった今でも、人間の赤ちゃんにはこうした動物的本能が、からだのどこかに記憶としてまだ残されているということは、脳のすみのほうを十分暖かく刺激してくれる。

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生まれたまんまは野生味たっぷり

 赤ちゃんたちの写真を見ていると、おもしろいことをたくさん発見する。
 生まれたばかりの赤ちゃんは猿の子どもみたいにシワシワで見分けがつかない、と一般的には思われているけれど、実際はとてもはっきりした個性をもっていることがわかる。からだの大きさや太り方はもちろん、頭の形や髪の毛の量やはえ方などはひとりひとり違う。出てくるのに時間が長くかかった場合などは後頭部が異様に伸びていることもある。ちっちゃいのにしっかり人と違う自分を見せているなんて、やはり人間というものは生まれたときから個性的な生き物であるということなんだろうか。

 顔の表情は、目が開いているかいないかでずいぶん違う。目が開いていると、表情を読みとりやすいのだけれど、残念ながら日本人の赤ちゃんは目の付近が埴輪のようにぼってりとしていることが多いから、西洋人の赤ちゃんより目は開きにくい。羊水の中に長くいすぎて顔がふやけているのではないかと思われるほど、どの子の顔もむくんでいる。なるほど、このまま子宮の中にいたんだと思わせる説得力がある。
 生まれた直後の赤ちゃんは仮面をつけたようで、顔に意思を読みとることは難しい。それが十分もたつと顔に人間らしさが浮かび上がってくるからおもしろい。赤ちゃんの表情はそれこそ分刻みで刻々と変化する。見る見るうちに赤ちゃんたちは人間の表情を身につけていくのだ。一晩たって次の朝に見ると、「わあ、おねえちゃん(おにいちゃん)になったわねえ」と思わず声をかけたくなるほど、見違えてしまうこともある。

 私はそんな生まれたばかりの赤ちゃんが大好きだ。はっきり言って誕生直後の赤ちゃんは、2〜3ケ月児のようにくふっくらしていてかわいらしいとは言いがたい。目の焦点が合っていないから、不気味な生き物のような感じさえある。でも、なんだか未到のジャングルから今出てきましたといわんばかりのおサルの子どものように野性味たっぷりで、「これだよなあ」と思ってしまうのだ。
 人間の中にある野性性は、すでに失われていってしまっているのではないかという声もあるけれど、私は今の社会の中でただ忘れられてしまっているだけなのだと思う。からだのどこかにその記憶は残っているはずだし、新生児はその記憶に一番近いところにいる。
 とはいえ、現代の日本人の顔が昔の日本人の顔とは異なってきているように、生まれたばかりの赤ちゃんたちの表情も時代とともに変化しているのかもしれない。その昔、赤ちゃんは手の指をぐっと握って生まれてくると言われていたけれど、最近はグーの握り拳で出てくる子ばかりではない。もみじのように指をいっぱいに広げて、「やあ」とばかりこの世に誕生してくるのだ。

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赤ちゃんにも個性がある

 ある日、ちょっと風変わりなアメリカ人の助産婦がわが家にやって来て、私が撮影した写真を見ていた。
 すると「これは病院で、これは自宅で撮影したでしょう」なんて言うのだ。それは生まれたばかりの赤ちゃんたちのポートレイトで、分娩室などのバックはほとんど写っていないアップの写真ばかりだった。そこに見えていたのは赤ちゃんの顔と手、母親の手、シーツ、おくるみくらいなものだ。それでも彼女は、赤ちゃんの表情を見るだけでどんな生まれ方をしたのかがわかると言う。彼女が指した写真は、実際にどれもそのとおりだったので、またまたびっくりしてしまった。
 私もなんとなく、生まれたばかりの赤ちゃんにも表情の違いがあることを感じていた。撮っているときには夢中でわからないのだけれど、現像してコンタクトを見てみると、あらためて発見することがたくさんある。

 その表情の違いは、お産のとき赤ちゃんがリラックスした状態だったかどうか、産後すぐに赤ちゃんが望むような対応をしてもらったかどうかによって違ってくるのではないか、と私も感じるようになった。もしかしたら、赤ちゃんの疲れ度と満足度を、表情が物語っているのかもしれない。
 以前ある地方の病院で撮影をしたあと、現像した写真を見て驚いたことがある。そこには、生まれた直後に顔をゆがめて泣き叫ぶ赤ちゃんが写し出されていたのだ。あとでよくよく考えてみると、そのときのお産は医師と助産婦以外にも、何人もの看護婦や研修医たちが立ち会っていて、かなり長い時間いきんだあと医師が産婦のおなかの上にのってクリステレルをかけて押し出すというものだった。

 出産直後は、助産婦が母親に見せようと、赤ちゃんを大きな照明の下にかざすようにして高く持ち上げたので、赤ちゃんは手足をばたつかせてギャーギャーと泣いた。その顔が、写真の中でなんとも恐しい表情で映っていたのだ。その病院で生まれた赤ちゃんを何人か撮影したけれど、どれも同じような出産だったせいか、みんな同じような表情をしていた。
 こういうことを言うと、「そんなことはないでしょう」と言う医療者の声が聞こえそうだけれど、これまで出産の状況による赤ちゃんの表情や違いについて議論も研究もされてこなかったのだから、一概に「そんなことはない」とは言い切れない。

 誕生直後、顔をこわばらせてギャーギャーと泣いている赤ちゃんもいれば、驚くほど穏やかな表情をしている子もいる。そのあとすぐに母親の胸に抱かせると、赤ちゃんは手足をバタバタさせることもなく、全身で母親の皮膚を感じることができるからか、だいたい泣きやむことが多い。グズグズ鼻を鳴らしていることはあっても、泣き叫ぶようなことは少ないのだ。
 人間は痛かったり、苦しかったり、楽しかったりという感情を表情に表わす生き物だ。そう考えると赤ちゃんだって、程度の差こそあれ、生まれたときの状態で表情が変わっても不思議はないのではないかと思う。これはデータには表わせないとても主観的なことだ。でも、写真に写っている赤ちゃんたちを見ると、私にはどうしてもそう見えてしまう。
 フランスのフレデリック・ルボワイエという産婦人科医が七十年代に書いた『暴力なき出産』という本の中に、生まれる環境のことが書かれている。彼は、人間が生まれ出るときの環境として従来の分娩室のあり方は適切だろうかと疑問を投げかけて、出産直後の赤ちゃんの扱いは優しくあるべきだと主張した。

 その本には、両足をつかまれてまるでうさぎかなにかのように逆さにつるされた赤ちゃんの写真が載っている。これは、第一呼吸をうながすための方法として、長い間世界各地で行われてきた蘇生の技術のひとつなのだけれど、大人がこれをいきなりされたらどう感じるだろう。ルボワイエはその写真に「恐怖にうち震えて泣いている」というコメントを添えている。
 ほかにも彼は、分娩室の消毒薬の匂いや煌々と照らされる照明、スタッフの事務的な対応なども、赤ちゃんにとっては脅威に感じるものだと言っているのだけれど、結局こうしたことは、母親にとってもあまり気分のいいものじゃないから、赤ちゃんに優しい環境は、母親にも優しい環境ということになる。

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肉体関係

 長男を産んで、私は生まれて初めて入院生活を送ることになった。気持ちのいい晴れ渡った秋の空が、助産院の庭から見えた。ガラス越しに差し込んでくる日ざしの中で、私は夫と離れて何日も過ごすことの淋しさを感じていた。かたわらにおっぱいを飲んで気持ちよさそうに眠っている息子がいたけれど、私の心は秋の空のように透き通ってはいなかった。あるいは透き通り過ぎてしまっていたのかもしれない。

 なんだか悲しくなってわけもなく涙が出てきた。傍らにはほんの小さな生まれたばかりの人間がいて、「ほぎゃ〜ほぎゃ〜」とおなかが空いては泣くのだった。その声は私を現実に呼び戻してくれた。赤ん坊の泣き声は、私の意識とはまったく無関係に胸に響いた。思考する頭ではなくて、胸が反応したのだ。泣き出したとたんにおっぱいのつけねが、キリキリと響く。そうこうするうちに、おっぱいは硬くなってますます大きくなっていくような気さえした。
 からだとはなんという構造になっているんだろう。私が意識しようがしまいが、拒否しようが受け入れようが、からだは息子の泣き声に反応して、おっぱいを出そうとしていた。乳房には青筋がたち、自分のからだとは思えないほど膨張していった。そのおっぱいは、私がずっと自分の胸として認識してきたバストではなかった。私のためのバストでもなく、男にまさぐられるためのものでもなく、まるでおっぱいそのものが意思をもったみたいに反射的に自らの働きを開始したのだった。

 その中では実に生産的なことが起こっていた。母乳という赤ん坊のおなかを満たすための餌をつくり、さらに、早く飲ませなさいとキリキリした痛みを私に送ってくるのだ。

 信号を送られ、おっぱいは腫れ、私は自動的に赤ん坊を抱き上げ、その小さな口に乳首を入れる。幸い、うちの息子は大きくてがっついていたので、すぐに口を大きく開けて乳首にぱくっとくらいついた。その口は黒ずんだ乳りんをすべてほおばり、ごっくんごっくんと音をたてて、私のおっぱいの中から白い液体を吸い出す。ほんとうにごっくんごっくんという音がするのだ。おっぱいから液体が流れだして、私の乳は少し腫れが治まっていく。

 私のからだは餌を生産していた。
 フガフガと泣き、ひとりでは生きていけない人間を私のからだが育てている。妊娠中から、そして産後もそれは続いていた。
 なんていうことだろう。まったく動物だった。吸われることによって、私のからだはまたたくまに楽になっていくのだ。共存共栄のような感覚。頭ではなく、からだがそうしていることに純粋に驚きを感じる。むしろ何も考えなくていいことが、恐ろしくもあったのだけれど、それでも何も考えずからだが気持ちいいというのは、セックスに似ていた。 

 おっぱいを含ませながら、息子の顔を覗きこんで、自分の乳首に吸い付くその唇を見る。ときおりのぞく赤に近いピンク色の小さな舌。息子のからだ全体に染み着いた乳の香り。赤ん坊の匂い。
 私はぺったりと水分を含んだその肌に触れ、ぺたぺたと頬をつっ突く。胸と腕で丸ごと抱き締める。赤ん坊というのは、水っぽい存在だ。全身に水をたっぷり含んでいる。
 乳くりあい、なめあい、肌を寄せあい、おちんちんを愛で、抱きあう。
 これぞ肉体関係。私と息子は、生まれたあともからだでつながっていた。

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ksows080707 引きつける力

 赤ん坊のそんな魔力を初めて感じたのは、息子が生まれたときだった。新生児室から私の手元に運ばれてきて、初めて抱いたときのこと。
 生まれたのが夜中ということもあって、赤ん坊はすぐに別の部屋へ連れていかれてしまった。だからじっくり子どもの顔を見る暇がなかったのだ。次の朝、運ばれてきたその子はぶちゃっとむくれた顔をしていて、とても自分の子だとは思えなかった。
「すみません、この子違うと思うんですけど」。私はそう言って、助産婦に子どもを返した。
『こまるなあ、まちがえるなんて』。これは重大な問題である。
『さて、次はツルンとしたかわいらしい赤ちゃんが来るだろう』などと思っていると、「やっぱりこの子おたくの子よ」と、さっきの赤ん坊が帰ってきた。産院には六人の赤ちゃんがいたけれど、ほかの子はすでに生まれてから二日以上たっていて、ちゃんと足の裏に印が書かれていたから、まちがうはずはないのだと。

『あらまあ、このぶちゃっとしたのがわが子なのか。しかし、いったいだれに似たのだろう』と、よくよく顔を覗きこんだ。
 そのときだ、私の脳の中が急激に変化した。なにやらへんな気分に襲われたのだ。まるで子どもが何かを発しているかのように、私はそれまでの私ではなくなっていくのを感じた。グ〜ッと彼に引き込まれそうな、ブラックホールに落ちていくような、もっていかれそうな感覚。
「いかん、いかん」と私は我に返った。こんな小さな人間ごときに私をもっていかれてたまるかと、自分の心にブレーキをかけた。
「私には私の人生がある。なにしろ夫もいるのだ」と、わけのわからない言い訳をだれにするというわけでもなく、自分にいい聞かせていた。私はそのとき本気で何かに襲われる恐さを感じた。ブレーキをいっぱいに踏み込んだので、私はからだごとがくっと大きく揺れたようになって、心は急激にピタッとその動きを止めた。

 今なら、その感覚を冷静にぞんぶんに味わうことができるだろうけれど、なにしろ当時の私は若過ぎた。おいしい果実の味わい方を知らなかったのだ。
 生まれたばかりの赤ちゃんには、人を引きつける強い力があると私は感じている。その後、たくさんの生まれたばかりの赤ちゃんや新生児室にいる赤ちゃんを見るうちに、その思いはますます強く私のからだを包むようになっている。

生まれてくる人たち
不思議な力

 生まれたばかりのヒトを見ていると、ふわっとした気持ちに包まれる。そのヒトはとても小さくて、親の胸に抱かれていたり、助産婦に抱かれていたり、新生児室のコットの中で、もぞもぞとほんのわずかな動きをしている。その動きはとてもゆっくりなのだけれど、ず〜っと休むことなく続いている。あくびをしたり、手を動かしたり、口びるをゆがめてみたり、伸びをしたり。そのほんのささいな動きは、私の目を釘付けにする。なんでなのだろうと、いつも思うのだけれど、新生児を見ていてあきるということはない。

 撮影のために、いくつもの病院や産院を訪れて、そんな赤ちゃんたちを見ていると、なんだか日頃の迷いや悩みまで溶けていくようにさえ感じる。
 生まれたばかりの人間は裸で、言語をもたず、文化にも染められていない。私にはそんな生まれたまんまの人間が、すでに完成された存在として感じられる。見る人をとりこにする不思議な力をもっているから。

出産をめぐる世界の旅
ケニア『出産する身体』

 少子化対策を掲げる日本とは裏腹に、高い出生率で人口増加が問題になっているサハラ以南のアフリカ諸国。部族社会のアフリカでなぜ人口が増え続けているのだろう。また、アフリカ大陸という大地に根ざした人々の身体性が「出産の身体」とどう結びついているのだろう。そんな疑問を胸に抱えて、ケニア中西部のケリチョー県とキシイ県に向かった。

 日本のNPO「HANDS」のケニアプロジェクトが行われているその地は、ナイロビの西に位置するビクトリア湖にほど近い町だ。赤道直下ではあるが標高が高く、年間を通して過ごしやすい温暖な気候。ケリチョー周辺はイギリスの植民地時代にtea factoryが作られ、ケニア茶の産地として有名である。

ケニア2.JPG●なぜ人口が増えたのか
 サハラ以南のアフリカは世界1出生率が高い地域だ。アフリカの人口統計は、諸国が独立した後、60年代にはじまったと言われているので、独立後に急激に人口増加が起こったのか、それ以前から増えていたのかは厳密にはわからない。70年代後半、ケニア人女性が生涯に出生する子どもの数は8人を超えていた。その時代は日本の昭和初期と同じように10人の子どもがいる家庭は少なくなかったという。しかし最近では避妊法が普及し、子どもの教育にお金がかかるようになったことから、出生率は落ちはじめている。
 出生率が高い理由としては、子どもが多くいることに価値や効用を見出す社会であること、初婚年齢の低さ(10代妊娠が多い)、農村などの女性の就学率の低さなどが上げられている。こうした要因は、明治時代以降の日本の出生率増加と似ているが、日本の場合には近代国家へ移行する中で富国強兵として「産めよ増やせよ」の国策が講じられた。

 アフリカ諸国の特徴はさまざまな「部族」が集合して国家が形成されていることだ。その「部族」は文字を持たない文化である。部族ごとに言葉が異なるため、ケニア周辺ではスワヒリ語や英語が共通語として使われている。文字をもたない文化とは、ヨーロッパやアジアなどで文字が形成される過程、古代・中世の時代を歴史の中で経てこなかったことを意味する。世界各地の先住民族と同じように文字を必要とせず、巨大な建造物も築いてこなかった民族だ。そこに「未開」という言葉が当てはめられてきたが、一方で自然と共存する豊かな文化が営まれていた。

 10年前に訪れたミクロネシアの島も文字をもたない文化だったが、そこにはさまざまな生活の知恵や掟が存在していた。科学的な「避妊(セックス≠受精)」の概念は存在していなかったものの、出産後一定の期間セックスを禁忌としたり、呪いをするなど出産抑制が行われていた。セックスは日常的に快楽を享受するものというより、時期やシーズンがコントロールされた、より動物的な生殖行動であったのかもしれない。

 小さなコミュニティーである部族の中では、さまざまな儀式がとり行われ、年長者から部族の習慣が伝授される。それが掟であり法となるのだが、国家というマクロな単位が形成され、社会が急激に近代化される中で、次第に部族の規範は希薄になり、セックスの時期の禁忌など伝統的避妊法が薄れていった可能性はある。人々は因習から解放され、欲望の享受を身に付けたが、出産抑制の近代化はそれに追いつかなかったといえる。

●出産身体のアイデンティティ
 ケリチョーやキシイでは、10人ほどの子どもを産んでいた世代は過去のものとなり、現在では「子どもは4人くらいがいい」とするカップルが多くなっている。県に基幹病院は1つ。町から離れた地域には保健センターがあって、そこで看護師による出産が行われている。とはいえ現在でも伝統的なトリアゲバアサンや家族による自宅出産が、半数近く行われている。ケニアの周産期死亡率は高い。ケリチョーの病院では2006年、2500件ほどの出産の内、自宅から搬送されたケースを含め20件の母体死亡があった。こうした現状を打開するために、妊婦健診や病院出産が積極的にすすめられている。

 ケリチョーの病院を訪れると…産科棟には陣痛室と入院室が共同の相部屋がひとつ。産後の入院は1泊なのに、中にはたくさんの人があふれていた。ジェンダー役割がはっきりしているので夫の付き添いはないものの、母親・姑・姉妹・親戚など3〜4人が母子の回りに付き添っている。こうした自助ケアも自宅出産のなごりなのだろう。
ベッドの数が足りないので、1つのベッドに2人の母親と2人の赤ちゃんが互い違いに寝ている。陣痛がはじまっている産婦ふたりも、ひとつのベッドを共有していた。ひとりはベッドの上でよつんばいの姿勢をとり、呼吸をしながら陣痛をのがしている。気がついて見渡してみると、部屋には産婦が何人かいた。ひとりは床にひざまずき、ベッドのへりをもって上体を支えている。ひとりは部屋のかたすみに立って、こちらも陣痛をのがしていた。医療者の数が少ないので、産婦たちはケアされることなく、家族に遠巻きに見守られながらそこにたたずんで陣痛をやり過ごしているのだった。

 看護師に聞くと、病院ではとくに出産準備教室は開催しておらず、陣痛中の姿勢や呼吸法を教えているわけではないという。それでも産婦たちは、だれにも教わることがなくても、自分で楽な姿勢をとり陣痛を乗り越えているのだった。身近に出産風景を見たり聞いたりしてきたからだろう。
 その日は出産ラッシュで、分娩室では2台並んだ分娩台が埋まっていて、その前でまさに生まれようとしている産婦が立って順番を待っていた。全開大を迎えているであろうその産婦は、ときおり顔をゆがめるくらいで、腰をさすってくれる人もいないまま、実に冷静沈着だった。ここで言いたいのは医療やケアの質ではなく、声も出さず陣痛を受け止めているその産婦たちの振る舞い、身体性である。日本にもかつて出産のときに声を出すことを恥とした文化があった。それは禁じられていたから耐えていたというより、陣痛を受け止め表現する身体性、あるいは精神性が現在とは違った形で備わっていたからではないか。こうした身体性は時代と共に変容し、文化的に構築されたものであることがわかるのだが、こうした身体性、言い換えればここで言う身体のアイデンティティは、何によって変容してきたのだろう。

 ロスマンは「ものごとはひとたび代替が可能になると、本来の神秘性が失われてしまう・・・<人造の>代替物の前で、ホンモノであることに意味があるのだろうか」と指摘する。近代化以降の社会的変化、伝統的民族規範の喪失、医療化は出産身体が備えていた野性性と神秘性の価値を失わせ、出産を「医学的に産む」という記号に転化する役目を果たしたといえる。

協力/HANDSケニアプロジェクト
参考文献/早瀬保子1999「アフリカの人口と開発」アジア経済研究所
松園万亀雄1991「グシイ」弘文堂
島本譲「出産と子育ての人類学」
ロスマン,バーバラ1996広瀬洋子訳「母性をつくりなおす」勁草書房

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