野生と性といのちの誕生
女性のキャリアと不妊の関係

 女性たちがキャリアを積み、結婚や出産を先伸ばしにしている状況は、日本もアメリカも同じである。
 日本では、女性がはじめて子どもを産む平均年令が30才を超え、35才を超えると「高齢出産」と呼ばれるようになる。これはすでに一般的になっていることとはいえ、女性たちは人類史上はじまって以来の、高齢妊娠への道に挑戦していることになる。35才を過ぎると妊娠する確率は年々低くなり、40才を越えるとさらに下がる。不妊治療の技術は先端的になってはいるけれど、からだへの負担と経済的な負担が大きいわりに、成功率は40%未満というのが現状だ。
 不妊治療は、技術的な面では日本もアメリカも大差はないのだが、大きく違う点は、アメリカでは不妊治療の先に見える「選択肢」が揃っているという点だろう。
 この映画のテーマである養子縁組はもちろんのこと、卵子ドナー、精子ドナーなどの道が用意され、州によっては代理母出産が可能なところもある。そして、こうしたことがビジネス化している点も日本とは大きく違う。
 日本では倫理的な面から夫婦間以外の卵子提供には慎重になっているし、代理母出産は認められていない。養子縁組に関しては制約が多く、血縁を重んじる現在の社会的背景もあって選択肢は限られている。

野生と性といのちの誕生
電脳の海に母はいるか

 妊娠、出産、育児は女性にとってすでに趣味の領域に入ったと言われている。子どもを育てることによる社会的リスクを考えれば、そこに意義を見いだすとすれば、もはや趣味的な感覚でしかない。いかにその趣味的な部分をくすぐるかということを考えていかない限り、少子化に対する解答は得られなくなっていくだろう。

 自分のことを考えてみても、戦略的に子産みが利用されることを嫌ってきたし、それにはまった自分もいる。その中で、趣味としての部分を追求してきたのかもしれない。
 お産について語ることが、政治的なこととされるから、よけいに語ることをためらっている女性もいるのだろう。

 からだがバラバラになっている感覚が広がっていくと、妊娠したいときに妊娠できないという現象が起こるかもしれない。反対に、貸し腹に抵抗のない女性が増えるかもしれない。
 精子を買えるようになった今の尚、女性のからだを通してしか妊娠、出産ができないという事実は、これまでそれを女性によっていたことを示している。社会はまだ、女が産むものとい楽観視していた。

 人工子宮の開発を急ぎつつ、産むという行為が職業で請け負う作業になっていくかもしれない。産める人間が産む。それは男性が嫌うから、家族幻想を死守することが政治的な戦略として残っていくしかない。

 けれど、一方で人間の生まれ方という側面から考えると、これは議論されなければならない問題である。まだ、社会は女が産むと思っている。趣味的に産み、生まれてくる場合は別に、再生産を望む社会に必要な人間を産むみ出す場合の、そのヒトの生まれ方は、死に方と同じように、議論が必要だ。
 死の先に、この世での人生はないけれど、生まれ方のあとに人生ははじまるのだから、その影響について考える必要がある。

 そうしたことを将来的に含みながら、世界各地でお産について論議されている。出産、誕生の場だけではなく、産むを期待されている女たちが、このままいくと産まなくなるのではないかという危機感がある。

 今、たとえ結婚や子どもをもつということに夢を抱いて電脳の海に漂う少女たちがいたとしても、からだへの自己認識が欠如していることで、産むということに関してまったく楽観視はできない。とりあえず人工的であっても妊娠さえすれば、産むことはテクノロジーが可能にすることはできる。けれど、そこに彼女たちは悦びを見いだすだろうか。悦びのないものは続くとは思えない。 それがなんでなのかということを、もっと考えてみる必要がある。
管理された分娩室の中で何かが失われたと感じる女性たちがいるように、自分のからだを通してできるだけ自然に産みたい、生まれたいとする人たちのニーズは消えることはないのではないかと思う。ボディ感覚は、からだに刻まれた記憶として、そうかんたんには消えないし、その出番を今か今かと狙っているかもしれない。

 とはいえ、安全で便利で快適で、そして幅や奥行きの少ない無痛文明の中でも、よく人間は驚くようなことをしでかす。悪いこともするけれど、いいこともする。それは卵子が卵胞からはじけるように、ポーンといきなり飛び出してくる。そんなダイナミックなところが、人間にはある。
 戦争を起こし、搾取し、ねたみ、領土を広げ、繁殖し、テクノロジーに酔いしれる。地球上で自分たちが一番偉いと思っている。この点に関しては、頭がいいとはいえない。アホなところもたくさんある。だからこそ自由でもある。

 ある人は「人間とは悪いことをしでかす生き物ものだ」と言い、ある人は「人間は基本的に悪い人はいない」と言う。たぶん、どちらも正しくて、結局同じことを言っているのだろう。

野生と性といのちの誕生
人間的であるということ

 そもそも人間的とはどういうことなのだろう。

 人間は自らを家畜化することによって文明を築いてきたという「自己家畜化論」をさらに広げて、哲学者の森岡正博氏は「無痛文明論」を唱えている。森岡氏は、家畜化した人間が目指しているところは、痛み、苦しみのない、快適な世界であるという。自分の予期したようにことが進むように設定されていて、つまらないことをしなくないことをしなくていい人生。そこには用意周到に痛みが排除される「無痛文明」が広がっている。そのような世界では人間の感覚は麻痺し、生きる喜びやいのちの輝きが奪われてしまう、というのだ。

 そんなことを言われても、自らを家畜のように飼育し、食料を自動供給し、繁殖を管理して快適な生活を維持する文明の中で実際にわたしたちは生きている。それはそれで快適だし、今さら逃れることなんかできやしないし、そんな必要もないかもしれない。けれどこうした生活には、たしかに何かが足りない。それは価値のないものだからと言われて、ずっと前にどこかに置き忘れてきてしまった何か。それは、“からだが震えてしまうほどの喜び”だったかもしれないし、“いのちへの推考”だったかもしれない。

 でもそんな喜びは、痛みを感じることと比べれば、そうたいしたことではないですよ、と社会全体のうねりがまだ耳元で囁いているような気がする。
 すべてがどんどん便利になり、安全になって「なにが不満だか言ってみなさい」と言われたときに、ちょっと考えてしまって、「あれもこれもあるのだからまあいいか」という、あきらめにも似た感覚。けれどその中で、どこか頭のすみで「なにかおかしい」と感じてはいる人は多いのではないかと思う。

 これは、今のお産のあり方をそのまま鏡に写した姿でもある。どうやら人間はこの世に生まれ出るその瞬間から、周到な無痛文明に足を踏み入れるようにしくまれているらしい。けれど、そこにいる生まれるヒトや産む人は、その矛盾をからだで感じている。いくら分娩室をテクノロジーで被ってみても、はだかのままで生まれ、女性がからだを通して生身の人間を産むという行為の中には、痛みがあり、カオスがあり、喜びがある。そこには生と死の淵がある。

 誕生するヒトや産む人のからだには、消し去ろうとしてもすべてを消すことはできないリアルが刻印されている。無痛文明に浸されない鍵を、お産は握っているのだ。

 ニュースからは、過去の人間のイメージを塗り替える生殖テクノロジーの新事実がどんどん伝わってくる。そんな話を聞くと、女性がおなかの中で子どもを育てる日はそう遠くまで続かないのではないかとすら思えてくる。人間そのものが生まれ変わろうとしているそのときに、過去とはまた違うヒューマニゼーションがつくられていくことだろう。そこに発揮される人間の叡智というものが、いったいどんなものなのかはわからないけれど、からだに刻まれた記号化されない記憶が蘇り、そこにエッセンスとして花を添えられたらいいなと思う。

 あらゆる生活のシーンの中で、個人が自由に自分の意志をもつことができるように尊重されること。それが21世紀の人間らしさのように思う。これまで人々は「〜しなければならない」と社会が決めたことをけっこうまじめにやってきた。それが“明日の人類”の発展に必要だと考えられてきたからだ。そのために“今日の個人や家族”の幸せにはなかなか目が向けられてこなかったけれど、エゴに固まらないささいな個人性が尊重されて、家庭の中や社会の中でしっかりとした居場所を確保して「それでいいよ」と言ってもらえたら、どんなに幸せだろう。

 今この瞬間にも、新しい人間たちが生まれ、過去からつながるいのちの鎖は続いていく。彼らは、新しい人間としての智恵をもった人々だ。その不思議さ、その心地よさ。
 いのちは一言では言い表せないし、客観的に置き換えられるわけでもないけれど、いのちについて考えながら生きることもまた、おつなもの。

 生まれたばかりのヒトに聞いてみよう。

野生と性といのちの誕生
出産のヒューマニゼーションに関する国際会議

 2000年秋、私はブラジル東北部セアラ州の、大西洋を臨む美しい町フォルタレーザにいた。日本は世紀最後の秋の風情とはいえ、赤道に近いこの町には強い太陽の光りがふり注ぎ、連日30度近い熱さ。とにかくここで「出産のヒューマニゼーションに関する国際会議」は開かれた。

 主催したのは、ブラジル各地で出産のヒューマニゼーションに取り組むいくつかの団体の有志たち。セアラ州で出産のプロジェクトを展開していた日本のチームも大きく関わっていて、私はそのスタッフのひとりとして会議に参加したのだった。

 会議のゲスト・スピーカーのひとり、小児科医で元WHOヨーロッパ母子保健部長のマースデン・ワグナー氏は「出産のヒューマニゼーションとは、女性が患者ではなくひとりの人間として尊重されること、医師や医療者は出産を管理するのではなく援助する存在であること。現代のテクノロジーによる出産は、医師が指導権を握り、女性が主体的になれる場を提供してはこなかった。これまでの出産は人間性より産科学が優先されてきたのだ。それは社会そのものが個人よりテクノロジーを優先する構造になっているからだ」と熱弁をふるった。

 私はそれを聞いて、1987年にロンドンで開かれた「第1回国際ホーム・バース会議」のことを思い出していた。その会場でも、ワグナー氏は同じように熱く訴えかける講演をしていた。違っていたことは、彼が歳を重ねていたことと、「ヒューマニゼーション」という新しいキーワードを使っていたことだ。

 あれから13年。お産の何が変わり、何が変わらなかったのだろう。

野生と性といのちの誕生
野生の部屋

 お産の世界に“野生”という言葉を華々しく登場させたのはフランス人産婦人科医のミシェル・オダン博士というお方。水中出産の先駆者として世界のお産業界にその名をとどろかせた人物だ。

 1970年代の後半、パリ郊外のピティビエという小さな町の公立病院で、彼はそこに分娩台をおかない分娩室をつくり『野生の部屋』という名前をつけた。このネーミングにこそ、オダン氏の哲学が集約されている。“水”に人一倍愛着を感じていた彼は、そこに大きめの円形プールを設置して水中出産による人間誕生の新しい側面を発見したばかりでなく、立ったりしゃがんだりといった自由な姿勢でのお産を展開し、それを「本能的なお産」という言葉を使って表わした。

 今でこそ、フリースタイルの出産や水中出産はたいしてめずらしいことではなくなっているけれど、当時としては産科学世界初というほど画期的なことだったから、ピティビエ病院のニュースは世界中に流れ、それが現在のフリースタイル出産のベースになっていった。

 それまでどこの国の女性たちも、助産婦も、産科医も、産むという環境の中で“野生”とか“本能的なお産”という言葉を聞いたことがなかったから、これには新鮮な驚きがあった。

 日本でお産が一般的に病院で行われるようになったのは、昭和30年代に入ってからのこと。お産は産科学にきっちりと管理され、医療はいかにも「産ませてあげましょう」と大風呂敷を広げたように産婦を迎え入れた。そのため女性たちは「産ませてもらう」という感覚になって、自分のからだに「産む力」が備わっていることなど考えてもみなくなってしまったのだ。助産婦や産科医たちも、同じようにそう信じこんでいた。

 オダン氏は「人間の中にある本能的な潜在力や、女性に備わっている子どもを産むための知恵を信頼すること」が必要だと言っている。彼はいかにもフランス紳士らしくセクシーに「お産は性的なものです」と語り、プライバシーが保たれた環境の中では、女性はエクスタシーを感じることもあるという。

 「野生」という言葉に、野蛮とか無秩序といったイメージを重ねる人もいるかもしれないけれど、彼はけして女性に動物的な雌になれと言っているわけではなくて、現代の男性的な論理に基づいた管理された出産より、女性たちがからだに備わっている産む力を発揮できる自由な出産のほうがより自然で、喜びに満ちた体験になると言っているに過ぎない。そこに本来の、産む、生まれる姿があるというのだ。

 システム化された社会の中では、こうした内なる野生性は価値のないものとされてきたような気がする。自然から遠くなればなるほど野生性は薄れて、人間はそうした原初的な能力からもっともっとかけ離れていくのかもしれない。

 それでも、私のからだの中には、どこかに野生であったときのおもかげが潜んでいる。それは、お産というからだを通す体験の中で芽生えてきたものだ。

 お産は女性にとって、からだの奥底に潜む野生性へつながる扉だ。それをそっと開ければ、眠っていたくまが冬眠から覚めるように何かが起きだして、もぞもぞと動きだす。それは男性的なシステム社会の中で隅に追いやられてきた、女性的な力。子どもを産み、育てるやり方を知っている人間のボディから湧いてくる智恵だ。

野生と性といのちの誕生
人間動物園

 愛知県岡崎市の丘の上に、ひとつの産院がある。

 鎮守の森のような木々に被われた入り口には「伝統のお産の家」という手書きの立派な看板が見える。門を入ると、目の前に木造2階建ての立派な純和風建築の家屋が聳えている。まるでどこかの博物館か、ちょっとしたお城のようだ。玄関に続く石畳の脇には桜やくぬぎなどの木が植えられ、夏には重なりあう蝉の声に周辺がすっぽりと包まれる。

 玄関の大きな扉には、人がひとりやっとかがんで通れるほどの小さな引き戸がついていて、そこをくぐって中に入ると土間が広がっている。土間の奥にはキッチンがあり、その中央に竈がすえられている。
 吹き抜けの天井には直径70センチほどの太い梁が二本、しっかりと柱と屋根を支えているのが見える。土間からの上がり框やそこからまっすぐに伸びる廊下は、分厚い松の板張り。ひとりの棟梁が1年半、手塩にかけてつくった手作りの日本家屋だ。
 この建物で、お産が行われている。分娩室はもちろん和室。その部屋でお産のあとも入院期間を過ごすことができる。奥には12畳ほどの風呂場があり、檜の浴槽で希望があれば水中出産もできるという。2階は立派な梁がむき出しになっている大広間。ここで妊婦や全国各地、世界から訪れる訪問者たちの集いが日々繰り広げられている。

 これを建てたのは、産婦人科医師の吉村正氏。建物も風変わりだけれど、家主ご本人の哲学もまたとてもユニークである。
「自然の素材でできたこうした空間に身をおくと、だれでもほっとした気分になる。それはすなわち、副交感神経優位の落ち着いた状態であるということ。その気持ちがお産にとっては一番いいのだ。この建物に入ったとたん、陣痛が起きてしまった妊婦もおるほどじゃよ。わっはっは」と吉村医師は豪快に笑った。

 彼は、自然なお産を実践している産科医として知られた人物である。最初のユニークな取り組みは、医院の裏庭に江戸時代の茅葺き屋根の“古屋”と呼ばれる民家をそのまま移築して、そこで井戸の水汲み、まき割り、のこぎり引きなど、古式豊かな労働をお産間近の妊婦にすすめたことだった。
「昔の人は、日常生活の中でたくさんの労働をしておった。からだをよく動かして準備しておけば、生理的なメカニズムが活性化され、お産は自然に進む」

 これは、健康的なからだをつくり、リスクを最低限に抑えるための徹底した予防策だ。
 介助したお産は2万例を越え、できるだけ産科的処置や介入を控えるお産のあり方を追求してきた。その結果、帝王切開率は世界的に見てもばつぐんに低い。そうした数多くの実績の中から、吉村医師独特の哲学が生まれてきた。
「現代は、手軽で便利で楽な生活を多くの人が望んでいる時代。都会では、仕事が保障され、食料が簡単に手に入るようにシステム化されている。それはまるで、人間動物園と言ってもいい。安全は確保され、飢えることもない。けれど、そこにはいのちをいきいき燃やす場がない。おかしいですよ。人間というものは、痛みや苦しみを体験することによって、真のいのちの喜びを知ることができるものなのだ」

 そんな吉村医師の言葉を理論づける本がある。『ペット化する現代人』という本だ。
 動物学・人間学の教授、小原秀雄氏は「自己家畜化論」というものを展開している。「ヒトを生物の一種とみなした場合、個人レベルではなく、人間自身がつくった社会システムに依存して暮らしている点から」、人間は自らを飼育していくシステムをつくる家畜化した生き物であるというのだ。

 家畜は食べ物と住処を与えられて、人間のために生かされている。繁殖を管理されていることも大きな特徴だ。セックス、避妊、出産、産み分け、人工受精、遺伝子操作など、繁殖への人為的操作は家畜の世界ではあたりまえのこと。もちろんこれは、人間にとっても日常的なできごとだ。

 さらに教授は「現代の日本人は座敷犬である」とおっしゃる。家畜というのは飼育されているとは言え、柵の中で放牧されていたり、庭に繋がれていたり、ネコのように家と外を行き来している動物もいる。けれど、すでに日本人はそうした外とつながる領域が狭く、家の中の暮らしを好んでいる、というのがその理由だ。やれやれ、とうとう座敷犬になってしまった。

 とはいえ、子どもも大人も建物の中でコンビニ生活をしている日本人にとって、これはほんとうの話だから、力なく笑って返すしかない。人間動物園と言われても、座敷犬と言われても、社会を囲む檻は物質化されず触ることもできない透明の真綿のように確実にそこに存在しているのだから。

 そういえば、私がたびたび吉村医院を訪れるようになったのも、そうした檻の存在を意識しはじめたころだったかもしれない。茅葺き屋根の“古屋”や“伝統的なお産の家”は、私にとって脳の中にある枠を溶かし、野生性を刺激してくれる存在になっていった。江戸時代の家屋の中で竈の火を見ていると、エンドルフィンがいてもたってもいられずにじわじわとしみ出してきて、からだの奥のほうに潜む何かが動き出すのだ。

「ごちゃごちゃ考えずに、気持ちのいいことを夢中になってやる。お産は命がけだから、わしは夢中になってやってきた。そりゃあ苦しいこともあるが、だからこそ楽しい。それが生きる喜びということだ」
 そう言いながら、医師は藍染めの作務衣を着て、毎朝こつんこつんと庭でまき割りをすることを日課にしている。

野生と性といのちの誕生
アマゾンのジャングルで

 1999年の大晦日、私はブラジルのアマゾン上流にあるインディオの小さな村にいた。
 電気、ガス、水道なしのその村には、トゥッカーナというアマゾンに棲息している大きな鳥と同じ名前の民族が住んでいる。

 アマゾン川流域の大都市、マナウスから小さな飛行機に乗り換えて、周辺のインディオたちが集まるサン・ガブリエラ・ド・カショエーラという町に飛び、そこからボートでさらに3時間ほど下ったところ。ジャングルの中にその村はひっそりとあった。
 村人はすべてキリスト教に改宗して、人々は服を身にまとっていたけれど、村人の生活は日本人の私からすれば、大昔の生活がそのままそこにあるような感じに見えた。
 ヤシの木の仲間の植物でつくった家で、人々はジャングルから薪を拾ってきてキッチンをつくり、栽培しているマンジョーカという芋を主食に、川で釣った魚や森で採れたフルーツを食べて生活している。

 朝起きると男たちは森へ行って、薪を集め、川へ釣りをしに出かける。女たちは畑へ行き、作物の手入れや収穫をする。子どもたちはジャングルに入っていって、木に上り、遊びながら自分たちでおやつを見つけて口へ入れる。
 村には学校と、小さな教会があったけれど、お店はなくて、村人はまさに自給自足。お金は町に出たときに生活用品を買うために少しあればいいという程度の価値しかないように思えた。
 大晦日の前日、朝起きてみると、村人はみんな忙しそうに働いていた。インディオの旧暦の正月は西暦とは違うのだろうけれど、キリスト教の信者である彼らにとってすでに正月は1月1日。正月には御馳走を食卓に並べたいと思う気持ちはいずこもいっしょだ。彼らは、町で正月用の食材を暢達するために、村から作物をもっていって現金に替えるのだそうだ。

 村の牧師の夫婦は、いたって実直そうで、朝から人一倍働いていた。
 まず、家の中を丹念に掃除してから、3人の娘と2匹の子犬と共に、ボートに乗って出かけていった。とくに何をする予定もなかったので、私はそのボートにいっしょに乗せてもらうことにした。アマゾンのヒオ・ネグロ、黒い川と呼ばれる川の支流は、その名のとおり黒く輝いている。まるでコーラのような透き通った水だ。ボートはほんの10分ほど走って、ジャングルに横付けされた。それからジャングルの中をまた10分ほど歩くと、彼らの畑に出た。
 うっそうとしたジャングルの木々を伐採してつくった開墾地。見上げるとぽっかりと空が空いていた。そこで彼らはマンジョーカを栽培しているのだ。

 その日は、マンジョーカを精製する日。一家総出で、マンジョーカの固い芋を洗い、削り、絞り、また洗って、それから大きな鉄板の上で煎って、乾かす。そんな手間ひまかかる行程を何日もかけて行い、マンジョーカの粉をつくる。
 気温38度。光りは露出計の針が振り切れるほど強く、風もなく空気は湿気をたっぷり含んでどんよりと漂っている。蚊とブヨのような刺す虫の群れが、耳元で羽音をブンブン響かせ、私の皮膚を容赦なく襲撃する。テレビで見るジャングルではない、ほんもののジャングルがそこにあった。心地よさからほど遠いその大自然の環境の中で、私はからだを自由に動かすことができなくなりそうな不安を感じた。肺に入る息が熱くて苦しい。このまま生きていられるだろうか。
 都会人はほんとうにヤワな生き物だとつくづく感じる。生命維持装置のサーモスタットの限界点はかなり低く設定されている。
「降参です、ごめんなさい」
 私の脳はパニック状態となり、早々に退散を申し出た。一家のほうは当然、その条件の元で夕方まで黙々と労働し続けた。
 夕方、畑から戻った夫婦は休憩もそこそこに村の外れのジャングルに入っていった。懲りずに私はまたのこのこと着いていくと、夫がいきなりヤシの木に似た高い木にするすると登り、その実をどさどさと下に落としていくのだった。“アサリ”と呼ばれるその実は、ブルーベリーのような小さな実が房になってついていて、それからおいしいジュースがとれるのだそうだ。木の下では妻が大きな竹篭を持って待ちかまえていて、実を房からザクザクと落として、篭に入れた。その作業の見事に早いこと。
 彼らはその日一日、朝から晩まで食料を調達する作業にいっしょうけんめいだった。それを町へもっていってお金に還元するという点では、農業や漁業とたいしてかわらないけれど、ふだんから彼らはそうやって自分たちが食べるものを自分たちの手によって得ているのだ。彼らだけではなく、もちろん村の人々全員がそうやって生きていた。

 マンジョーカを絞る竹で作った篭も、それを吊るす木の道具も、作物を入れて肩にかつぐ篭も、家も何もかもがジャングルでとれる材料で、自分たちでつくる。粗末な家の中で現金で買った品物といえば、ピカピカに磨き上げてキッチンに飾られている真鍮の鍋や釜と、若者が履くスニーカー、とても数の少ない洋服くらいのものだった。

 彼らは食べるために生き、生きるために食べていた。その姿に、私はテレビで見たジャングルに棲む野生のゴリラの映像を思い出した。野生動物の映像はつねに食べるか、異性を引き寄せるためのボディトークをしているか、交尾するかのどれかとだいたい相場が決まっている。動物は、食べて自らを維持して、繁殖して種を維持する。人間もかつてはそれを目的に生きていた時代があったんだということを、私はその村であらためて目撃したような気分になった。

 狩りをしたり、採取したり、栽培したりしなくても都会に住む人々は、スーパーに行きさえすれば食べ物を簡単に手にすることができる。食べ物を貯え、流通させるシステムをつくったのが、人間の人間たるゆえんだ。人間は動物とは違う。
 けれど、アマゾンのジャングルで出会った人々には、野生のおもかげがあった。そうしたおもかげを、人間は時代とともにほんとうに消し去ってしまったのだろうか。からだのどこか隅っこのほう、あるいは細胞の片隅に、記憶されている何かがあるのではないか。
 そんなことを考えるようになったのは、お産を数々見ているうちにそこに潜む「野生性」にしだいに気づくようになったからだ。これは、一般的な病院でのお産ばかり見ていたらわからなかったことだと思う。自然の姿が失われることのない環境の中での出産シーンには、哺乳動物としてのヒトの姿が今もある。

 女の性器から出てくる、ヒト。ときには血にまみれ、ときには羊水を飛び散らせて、ヒトはこの世に登場してくる。はだかのまんまで文化にまだ染まっていない、こんなにも野生的なヒトというものを、私は誕生の場面以外で見たことがない。そのあり様は、人間も動物なのだということを、あからさまに見せつけてくれる。

生まれてくる人たち
生まれてくる人たちINDEX

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「生まれる瞬間(とき)」
静かにそのときを待つ
とても美しい瞬間

「誕生」
扉が開く
はじめての呼吸
産声
家族の時間

「赤ちゃんの魔力」
不思議な力
引きつける力
肉体関係

「生まれたまんま」
赤ちゃんにも個性がある
生まれたまんまは野生味たっぷり
匍匐前進
ガッツキ指数

「システム化」
奇妙な新生児室
楽しい沐浴


生まれてくる人たち
楽しい沐浴

 生まれたばかりだとはいえ、赤ちゃんの日常はまったく暇というわけではない。人間というものは、生まれた直後からいろいろやることが用意されている文化的な生き物だ。
 授乳のほかの赤ちゃんの日課、それはお風呂に入ることだ。お風呂好きの日本人であれば、赤ちゃんがお風呂に入らないというのは考えられないことだけれど、世界的に見れば生まれたばかりの赤ちゃんを産湯につかわせる習慣はあたりまえというわけではないのだ。生まれた直後、風呂につかわせないという医療施設はけっこうあるし、チベットのように赤ちゃんをお風呂につかわせる習慣がないという国すらある。
 さて、日本人の赤ちゃんは病院で毎日お風呂に入る。お風呂はだいたいにおいて楽しい時間だ。裸にされてお湯に入れられると驚いて泣く子は多いのだけれど、そんな子でも風呂上がりは「気持ちよかった〜」という表情をする。まったく大人と変わらないのだ。
 新生児室にいる赤ちゃんは、助産婦の手によって入浴が行われる。多くの施設で、これは毎朝の日課だ。大きい施設になればなるほど、あたりまえの話、赤ちゃんの数は多い。その赤ちゃんたちを手際よく沐浴させるのが助産婦の腕の見せ所だ。
 またまた、とある病院での話。私が訪れたとき、その病院には25人の赤ちゃんが新生児室にいた。それを全員、午前中に沐浴させなければならない。担当した助産婦、看護婦は3人。さあ、一斉に始まった。

 まず、ひとりの看護婦がコットから赤ちゃんを連れ出し、3人づつワゴンに乗せて、沐浴する小さな部屋の前まで運んでくる。赤ちゃんの沐浴は、病院などでは通常、大きめの洗面台で行われる。白い磁器でできた洗面台の場合もあれば、ステンレス製のシンクの場合もある。お湯をためる部分は広めで、蛇口をひねるとお湯が出てくるから便利だ。石鹸をつけた赤ちゃんをそのお湯の中で洗うので、ひとりごとにお湯をためたり流したりしなければならないから、助産婦はお湯をため、洗い、栓を抜いてお湯を流して、またためるとくり返すことになる。
 まず赤ちゃんを運んできた助産婦が、次々に赤ちゃんの着物を脱がしていく。とても手際がいいので、見ていてほれぼれするくらいだ。裸にされた赤ちゃんは、おおむね機嫌よくしている。たまには泣く子もいるけれど、その場合には「だいじょうぶよ」とやさしいお姉さんの声がかかる。
 お湯を張って待っていた助産婦に赤ちゃんが手渡されると、助産婦は「いい子ですねえ」など言いながら、赤ちゃんをガーゼにくるんでから、石鹸を手にとり赤ちゃんの頭をまず洗う。片手で頭を支えて、もう一方の手で髪の毛を洗っていく。頭を洗うと今度は全身に石鹸をつけて、お湯に入れる。全身をなでなでされて、最後にほかのシンクにためてある上がり湯に入れて、いっちょう上がり。赤ちゃんはすっかり湯上がり気分。ほてった顔で気持ちよさそうにしている。
 ここで、新たな助産婦が待ち構えている。風呂から上がった赤ちゃんはタオルの敷いてある台の上に乗せられて、手早く全身を拭かれて、みるみる着物を着せられていく。くるくるっとおくるみに包まれて、はい出来上がり。赤ちゃんはふたたびワゴンの上にいる。ここで、赤ちゃんは次から次へとやってくる赤ちゃんを待って、3人の乗り合いワゴンは新生児室に戻っていくのだ。御苦労さまでした。

 この風景は見てるととても微笑ましくはある。けれど、考えてみると、赤ちゃんたちはまるでベルトコンベアーに乗せられた小荷物状態で、せっせと先に送られていく。古いたとえだけれど、チャップリンの『モダンタイムス』のような悲哀すら感じられる。
 なんだか赤ちゃん家畜場のようでもある。これもシステムの中の管理された赤ちゃんの実態と言ってしまえばそれまでなのだけれど、生まれたばかりからこんなにシステマティックな環境に置かれなくてもいいのではないかと、私は思ってしまう。多くの親は、こうした病院の事情はまったく見ることなく、かわいい赤ちゃんを胸に抱き、退院していく
のだ。

 大人になったらシステム社会の一員になるのだから、生まれたばかりからシステムというものを肌で感じていたほうがいいと本気で考える人がどれだけいるだろう。問題なのは、こうした実態を見ても、これはおかしいと思えなくなっている大人と社会の感覚のほうだ。

生まれてくる人たち
奇妙な新生児室

 病院や産院(診療所)では、生まれたばかりの赤ちゃんは新生児室という寝かされていることが多い。これは、感染などの予防のためもあるし、赤ちゃんをまとめてひとつの部屋に置いておいたほうが医療的に管理しやすいこと、母親の入院室が個室ではない相部屋の場合など、ほかの赤ちゃんの泣き声が気になることもあるし、出産直後の母親は疲れているという見方が多いために、母親をゆっくり休ませるためという意味もあるらしい。

 実際に、出産後の入院中くらい子どもと離れてゆっくりしたいという母親の声も多いのだけれど、それでも病院によっては入院中、いろいろなスケジュールがあって、母親は赤ちゃんがかたわらにいなくても忙しいことは多い。
 新生児室に預かってもらっていると、赤ちゃんと母親は授乳の時間に面会することになる。3時間ごとの授乳の時間だ。
 授乳はのやり方は病院によってさまざまだ。入院している母親の部屋に赤ちゃんが連れてこられ、そこで授乳する場合もあれば、新生児室のそばにある授乳室という部屋で授乳をする場合もある。
 ある病院での話だ。そこの病院では授乳室は新生児室のとなりにあった。授乳時間は3時間おき。時計の針が90度回るたびに授乳時間がやってくる。12時、3時、6時、12時というぐあい。母親は時間になると授乳室に行き、ふだんの入院服の上に授乳用の木綿のガウンをまとう。そして授乳室の入り口で並んで待っている。すると『赤ちゃんお渡し口』と書かれた小さな窓口から、名前を呼ばれて、まるで小包のように白いおくるみに包まれた赤ちゃんが渡されるしくみになっている。
 授乳時間は30分。あまり長い時間ではないけれど、だらだらやっていると次の授乳までインターバルを開けることが難しくなってしまう。時間も決められているのだ。母親はまず、赤ちゃんの着物を脱がせ、体重を計り、それをあらかじめ用意されているカードに記入する。ここで赤ちゃんのおむつが汚れている場合は、当然おむつを替える。で、また着物を着せ、おっぱいをおもむろに出して、右の乳10分間、左の乳10分間、赤ちゃんにくわえさせる。もちろんこの時間はめやすでしかないのだけれど、全体の時間が30分しかないうえに、おっぱいを左右均等に飲ませなければならないので、だいたい10分づつがめやすになってくる。

 そして、また着物を脱がせて、体重を計る。これで赤ちゃんが何グラム母乳を飲んだかわかるのだ。母乳は哺乳ビンのように目盛りがついていないから、どれだけ飲んだかわからないので、体重の増加でその量を計るのだ。ここでまたおしめを取り替えることも多い。なにしろ赤ちゃんは、飲めば出るというしくみになっているので、授乳のあとのおしめ替えは必須である。
 そしてまた着物を着せ、ようやく終わって、赤ちゃんを『赤ちゃんお渡し口』から新生児室に戻す。ここまでが30分だ。
 大人社会の感覚でいうと、この流れは仕事をこなすという面から言えば、そうたいしたことのようには聞こえないかもしれない。しかし、だ。これは母親だけの問題ではない。相手は生まれて1日〜6日くらいの赤ちゃんだ。しかも、母親になりたての女性たちは授乳のし方に慣れていないから、全員がスムーズにいくとは限らない。出産直後の授乳は多くの場合いろいろな問題を抱えている。母親も赤ちゃんも授乳に慣れていないために、そう簡単にはあげられないし、うまく飲めないこともある。しかも、おっぱいが勢いよく出る人ばかりではないのだ。
 さらに、赤ちゃんというものは個性豊かな生き物である。まず、3時間ごとにパチっと目を開けて「またおっぱいの時間だ、わ〜い」とおなかをすかせてまっている赤ちゃんばかりではない。しかも決められた12時、3時、6時、9時だ。その時刻にピタッと合わせて、ぐいぐい飲める赤ちゃんがどれだけいるだろうか。

 というわけで、赤ちゃんは病院のスケジュールの感覚はもちろんもちあわせていないし、母親が困っていても気をつかうようなこともしない。われ関せずという感じで、眠いときには眠り、おなかがすいたら目を開けて、満たされない場合には「おなかがすいたよ〜」と泣く。
 時刻どうりのスケジュール、しかも30分間という指定では、眠っている赤ちゃんは当然いる。母親はいっしょうけんめい起こそうとして、足の裏をくすぐったり、ほっぺたをつついたりしてみるのだけれど、赤ちゃんだってちょっとやそっとでは目を覚まさない。乳首を口にあてがってやると、口を開けて反射的にくわえるものの、半分夢の中にいれば、勢いよくごくんごくんとは飲んでくれない。なのに時間は過ぎていく。次の授乳まで3時間も時間が空いてしまうから、片方のおっぱいばかりを飲ませていると、もう一方のおっぱいに乳がたまってしまう。両方バランスよく飲ませないと、片方が出にくくなってしまうし、かたよった飲ませ方をしていると、飲ませたほうのおっぱいと飲ませなかったほうでは、おっぱいの形は明らかに変わってしまうから、これは問題だ。
 赤ちゃんが眠っていて、うまく飲まない場合には、体重の増加も当然見られない。体重などさほど気にする必要はないのだけれど、みんながみんな計っていると他の子とどうしても比べてしまうから、飲まない子の母親は気になってしかたがない。

 で、飲まない子の母親は時間ギリギリまでいっしょうけんめい頑張ってはみるものの、時間切れ。タイムオーバーで、ゲームセットとなる。あわてて体重を計り、着物を着せて新生児室に返さなければならない。けれど、飲まなかった赤ちゃんはすぐにおなかをすかせてしまう。母親のほうも吸われていないと乳がたまってしまうから、赤ちゃんを返したあと、小さな哺乳ビンに自分でしぼって乳をため、名前を書いて新生児室へ預けることになる。

「うちの子が泣いたら、これを上げてください」と。
 はたして赤ちゃんは母親が心配したとうり、ずれた時間におなかが空いて目が覚めることになる。「おなかが空いたよ〜」と泣くのだけれど、そこは新生児室。いくら大きな声で泣いても母親にはには届かない。母親は聞こえないのだから、自分の子がいつ泣いているのかわからない。
 赤ちゃんはいっしょうけんめい泣き、やっと新生児室の助産婦がやってきてさっき預かったボトルの母乳を与える。このとき、抱いて授乳する場合もあれば、忙しい場合には赤ちゃんを直接抱くことなく、寝かせたまま哺乳ビンの乳首を赤ちゃんの口にお入れる場合もある。助産婦には、ちっとも悪気はないのだ。助産婦というのはとにかく忙しいし、ほかにも赤ちゃんがいっぱいいれば、ひとりの子にかまってばかりはいられないのが実状だ。だれも悪くない。とにかくそうしたシステムになっているだけなのだ。

 助産婦がほかの仕事で忙しいときには、いくら泣いてもだれも来ないときもある。赤ちゃんは泣くことによって、その欲求を表現する。その欲求に答えてくれることによって、赤ちゃんの欲求は満たされていくのだけれど、いくら泣いてもだれもこなかったらどうなるだろう。しかも、タイミング悪く、いつもいつも指定された授乳時間にはどうしても眠くなってしまう赤ちゃんがいたとしたら。その子は、授乳時間外におなかをすかして、いつも泣いているかもしれない。そうして、いつもいつもだれもすぐに飛んでこなかったとしたら。入院期間はおよそ1週間。この時間は、生まれたばかりの子どもにとってかなり長い単位の時間ではないかと私は思うのだけれど、いつ自宅に帰るのか、自宅に帰ったら母親がいつもそばにいてくれるのかということも認識できない生まれたばかりの人々にとって、泣いても泣いてもだれも来ない状況というのは、どのように感知されるのだろう。もしかしたら、いくら泣いてもだれもこないということを彼らは学習していくのかもしれない。


































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