マタニティ・ヨーガ
腹式呼吸法

腹式呼吸法を練習してみましょう。
あぐらをかいて座り、おなかに手をあててやってみます。
はじめはなかなかうまくいかない人もいるかもしれません。
まずは呼吸を意識して、呼吸法に慣れる練習から。
だんだんと慣れてじょうずにできるようになります。

1.あぐらをかいておなかに手をあてる
 あぐらの姿勢で楽に座ります。背筋を伸ばして、肩の力を抜きましょう。
 肩や腕に力が入らないようにして、おなかに手を当てます。
 POINT あぐらの姿勢が苦手な人は、椅子に座った姿勢でもOK!

2.息を吸い入れる
 息をゆっくり鼻から吸います。おなかに入れるようなつもりで。
 吸い入れたとき、少しおなかが膨らみます。
 POINT 息を吸ったとき、肩が動かないように注意しよう。

3.息を吐き出す
 ゆっくり吐き出していきます。息を吐いたときに、おなかが少しへこむように。
セットカウント
 1〜3を5回、ゆっくりくりかえしましょう。 


 マタニティ・ヨーガで行われる呼吸法はいくつかあります。私の場合には、おもに初歩的な腹式呼吸法をやっています。リラックスをして、意識をゆったりさせたあとで、あぐらをかいて座り、おなかに手をあててもらって、腹式の呼吸をします。

 呼吸法をやるのが初めてという人も多いので、まず簡単に説明してから始めます。呼吸法にはいくつかのお約束があります。呼吸は鼻で吸って、鼻または口から吐く。ゆっくりした呼吸で、止めずに円を描くようになめらかに続けて行う。吐く息に意識を向け、吸う息は息が自然に入ってくるようにする。十分に吐けば、息はおのずと入ってくるので、息を吸い上げようとしない。(お産のときたくさん吸うことを続けると、酸素過多になり過換気症候群を引き起こす場合もあります)
さらに腹式呼吸の場合には、肩が動かないように注意します。

 これだけのことを行うのだから、初めての人にとってはけっこう大変な作業です。うまくいかなくてあたりまえ、腹式呼吸をやるというよりは、それを練習するくらいの気持ちで始めましょう。まずは呼吸を意識すること、呼吸法に慣れることが肝心です。

 私自身、長年ヨーガをやっていても「なんで呼吸法をするの?」と、なかなか呼吸法の意味がつかめずにいました。多少はうまくできるようにはなっても、ほかのポーズなどに比べて、その効果がいまひとつ実感できません。やっと最近、呼吸法や瞑想というものは、表面的には効果がなかなか現われないけれど、意識ではないもっと無意識な部分にジワッと効いてくるということがわかってきました。まるで、ボディブロウのように。これは言葉ではなかなか説明しずらいのだけれど、やってみるとなんだか気持ちが落ち着きます、それくらいのことなのです。でも、その「気持ちが落ち着く」「平和になる」ということは、今の時代こそ必要なことなのかもしれません。妊婦の場合には、母の気持ちが落ち着けば、おなかの中の赤ちゃんもきっとゆったりした気持ちになっているだろうと想像できますよね。

マタニティ・ヨーガ
呼吸法を練習する

リラックスの次は呼吸法です。お産のとき呼吸法が大事だということは知っていますね。
ヨーガでも呼吸法はとても大切な要素です。

呼吸法というのは意識して呼吸をおこなうこと。
ある特定の呼吸の仕方が呼吸法なのではなくて、「意識して呼吸をおこなうこと」が呼吸法なのです。

心臓や胃が自然に動いているように、呼吸も普段は自動的に行われています。
でも、肺の筋肉はコントロールすることができる随意筋。さらに呼吸は常に一定しているわけではなくて、気分や心のもちようによって変化しています。

一日の疲れを癒すやめにお風呂にはいったときなどは、ゆっくりと吐き出す呼吸をしていますし、反対に緊張しているときには呼吸は浅く早くなり、驚いたときなどはとっさに息を止めていることもあります。普段は無意識のうちに、こうしたことが行われているのですが、ヨーガではその呼吸をコントロールすることによって、反対に気分や心、からだの働きまでも変化させようとします。
これがヨーガの呼吸法なのです。

 お産のときには、痛みや緊張から、からだをこわばらせたり、浅く早い呼吸になりがちです。
歯をくいしばって息を止めてしまう人もいます。これでは心はさらに不安が高まり、緊張は増幅されてしまいます。こうしたときにこそ、ゆっくりした吐き出す呼吸をすることによって、気持ちを落ち着かせからだをリラックスさせることが必要です。

 お産の呼吸法といえばラマーズ法のパターン化したものが代表的ですが、ヨーガではお産のときに行うパターン化された呼吸法というものはとくにありません。妊娠中からの練習によって、呼吸法の意味ややり方がわかっているので、ゆっくりした吐き出しの呼吸で陣痛をのり越える人が多いです。出産施設がラマーズ法などの呼吸法をとり入れている場合でも、それをすんなりと受け入れ、実行することができるでしょう。

 ラマーズ法の呼吸法が「ヒヒフー」など特殊な言いまわしをつけたのは、ふだん呼吸法に慣れていない人のために呼吸法を馴染みやすくするためでだったのではないかと思います。初心者にはパターンを提示したほうがやりやすいかもしれませんね。ソフロロジー法では、妊娠中からヨーガの呼吸法を練習し、お産のときには「ふ〜」という吐き出しの呼吸を行っています。

 しかし、妊娠中ヨーガや呼吸法を練習し、自分のからだの変化や動かし方がわかるようになった人がお産するとき、さらに分娩室がとても落ち着いた環境にある場合には、産婦は自然に声を出したり、うなったりと自分なりの呼吸をするものです。こうした自然な環境での出産では、産婦の呼吸はむしろセクシーで、まるでセックスのときの呼吸にも似たものが出てきます。産婦はとても女性的で、本能的なお産をします。この場合、まわりが呼吸のリードをするには及ばないし、呼吸法のパターンも必要ありません。

 マタニティ・ヨーガでは、毎回クラスの最後に呼吸法の練習が行われます。そこで行われるものは、陣痛の最中に行うものというよりは、呼吸を自分でコントロールするための練習であり、呼吸法がなんであるかわかるためのものなのです。呼吸の仕方がわかるようになれば、お産のときにも自在に呼吸をコントロールして、気持ちを落ち着けることができるようになります。

マタニティ・ヨーガ
ゆったりリラックス

 一連の体操をおよそ1時間やったあと、シムスの体位か自分が一番楽な寝入るときの姿勢をして、リラックスする。ヨーガではリラックスは体操と同じくらい重要なポイントだ。伸ばしたからだ中の筋肉を緩め、心をも十分にリラックスさせる。

 私の場合は、ここでヒーリング的な音楽をかけている。ヨーガでは音楽を取り入れないという考え方が一般的だが、私の場合は自分が妊娠していたころ、音楽をかけたリラックスがとても気持ちのいいものだったので、音楽を流すことにしている。最近のお気に入りは『クリムゾン・コレクション/シング・コウル&キム・ロバートソン』。女性ボーカルのチャント(なんども同じフレーズを繰り返すお祈りのような歌)ミュージックだ。

 音楽を流しながら、まずはからだから力を抜くように、やさしい声で誘導する。これは、アメリカなどのセラピーでよく行われているイメージ誘導に近いものだ。「全身の重みを床に落として、筋肉を緩めていきましょう。まず、足先の力を抜いて。ふくらはぎも緩めます」といったように、ゆっくりと、足の先からふくらはぎ、もも、腰、おなか、手、肘、肩、首、顔、頭の順に力を抜くように誘導する。このときの誘導者の声は、静かにやさしく語りかけるように。この声かけによって、参加者のリラックス度は異なってくるので、これには若干の経験と感性が必要だ。そのあと、音楽を流したまま、静かに10分ほどリラックスに入る。

 初めて参加した人は、リラックスと言われてもなんのことやらわからずに、なかなかうまくできないのだけれど、回数を重ねるうちに、これがほんとうに気持ちよくなってくる。中にはスヤスヤと寝息をたてて眠りこんでしまう人もいる。ヨーガ的に言えば、眠ってしまってはいけないのだけれど、緊張がほぐれている証拠でもあるし、熟練していけば眠りこんでしまうことはなくなるので、私はさしつかえないと思っている。

 このとき、参加者がうまくリラックスしていればしているほど、部屋の空気全体が穏和になるように私には感じられる。何人かが緊張していたり、部屋の外がうるさかったりすると、こうした落ち着いた雰囲気にはなかなかならない。空気そのものが落ち着いてくると、私は「おなかの中の赤ちゃんも気持ちいいと感じているんだろうなあ」と感じる。それが、とてもいとおしく思える。

 クラスには、妊婦さんの顔しか見えないけれど、おなかの中の赤ちゃんも確実に参加しているのだ。その顔の見えないおなかの中の人たちも、このときばかりはお母さんといっしょに、ゆったりしているに違いない。私自身は、このとき、あぐらをかいて瞑想をしているのだけれど、赤ちゃんたちの気を感じることができる。おなかの中の赤ちゃんを身近に感じられる瞬間だ。

 10分たつと、「もとの状態に戻していきます」と声をかけて、ゆっくり伸びをしてもらう。このとき、急に起き上がると逆効果になってしまうので、ボーッとした状態を少し味わってもらってから、ゆっくりと起き上がるようにする。このボーッとした感覚は、瞑想のときの意識状態に近いものがある。瞑想は、やろうと思ってもそう簡単にできるものではないのだけれど、リラックスのあとのこの意識状態には、数回参加しただけの人でもけっこううまく入っていける。このボーッとした意識状態が、ソフロロジー法で言われるところの「ソフロリミナルな状態」(眠りに落ちる前の意識)なのだ。この状態のとき、頭はとてもリラックスしているので、普段頭でごちゃごちゃ考えている知性や感情が抑えられて、不安や緊張が薄れた状態になるために、からだは本来の働きをすると言われている。

 ストレスが内臓の働きを鈍くすることは知られているが、お産のときにも同じようなことが起こる。子宮は本来の収縮をしたいのだけれど、不安や緊張のせいで働きが鈍ってしまうのだ。心もからだもリラックスしているこの状態のときには、ストレスを起こす因子が薄れるので、子宮は本来の働きを十分にすることができ、お産もスムーズに進むというわけだ。

 もちろん、お産のときには陣痛の痛みをともなうので、ヨーガのクラスで得たリラックスをそのまま実践できるわけではないが、それでも理論的にはそういうことを知っておいてもらうことができるし、からだはリラックスした状態を覚えている。実際、ヨーガをやった人たちは「リラックスがうまくできた」と感想を述べる人が多い。

マタニティ・ヨーガ
マタニティ・ヨーガの効果

 マタニティ・ヨーガは、ハタ・ヨーガの中から妊娠中でも無理なく行えるものや、出産にむけてのからだづくりに適しているものを集めてメニューがつくられています。一般のヨーガよりさらにゆっくりした動きで、動作にあわせて呼吸をします。からだの動きや感覚(痛み)に意識を向けながら行うことも特徴です。「感じる」ということを、私はクラスで強調しています。ごちゃごちゃ頭で考えずに、とりあえず感じてみる。そうすることによって自分のからだや、おなかの中の赤ちゃんのことをわかる(実感する)ことができるようになります。この身体感覚なくしてヨーガは語れません。言われるままに手足をふり回して、形だけをなぞるラジオ体操とはまったく違うものなのです。

 お産は、からだでするもの。たとえどんなに知識があっても、妊娠中のホルモンのバランスの変化に対応できないこともあるし、陣痛が始まってからは頭で考えてもうまくことは運びません。からだにお任せするしかない。その、任せられるからだと心をつくる。これがマタニティ・ヨーガの目的なのだと思います。

 マタニティ・ヨーガは筋肉を柔軟にして、からだのバランスを整える働きがあります。とくに骨盤を開きやすくするポーズや、会陰を伸びやすくする運動、弛緩法など、お産に直接結びつくものが多いので、それによって分娩時間が短くなって安産を導きます。また、便秘や腰痛、むくみなど妊娠中の不快な症状を軽減または予防する効果があります。

 もうひとつ見逃せないのは、痛みに対する耐性を強化したり、心を落ち着けリラックスを高めるという効果です。始めてヨーガをやる人は、なかなか筋肉が伸びないので痛みを感じます。中には「痛いからもういや」という女性たちもいます。痛みを「好き」という人はいないけれど、陣痛は痛いのです。お産の痛みから完全に逃れるためには麻酔分娩以外方法はありません。でも痛みというものは、たぶんに不安や緊張によって増幅されるものです。痛みに対して「いやだ」という拒否反応を示すことによって、もともと1であるに過ぎない痛みが2倍にも3倍にもなって感じられます。しかし、その痛みを冷静に「見る」ことができるようになると、「なあんだ、痛いけれどけっこうのり越えられる痛みじゃない」と、感じることができるようになのです。

 これは心のもちようなのです。でも、これがやっかいなところで、頭で「痛くないと思えば痛くない」と考えていたのでは、やはり痛みは軽くなっていきません。からだを動かしながら、筋肉が伸びる痛みに気を向けていくうちに、今日のいや〜な痛みが明日には味わうことができるようになり、あさってにはもう少し軽減していく。「痛みを見る」「味わう」ということは、自分のそうしたからだの変化に気づいていくことでもあります。

 ヨーガは自分自身に気づくためのものだと、私は思っています。始めてやる人は「からだが硬いということがわかった」とよく感想をいいます。そういう自分に気がついたのです。次には「自分のからだのことなのに、あまりよくわかっていなかった自分」に気がつくでしょう。今日の調子はどうなのか。妊娠中の不快な症状は、いったいどこからくるのか。医師に相談すべきような急を要する症状なのか。自分でいたわり、安静にして様子をみることで、症状は改善するのか。そうした判断が、ヨーガをやり自分のからだに向きあうことでわかるようになっていきます。こうしたことは、その後、子どものからだをみて判断していかなければならない母親にとって、とてもいい訓練になります。

 さらに妊娠中のリラックス法、瞑想は胎児へいい影響を及ぼすにちがいありません。母親の心が平安であれば、おなかの赤ちゃんもとても気持ちいいはずだし、そうした意味では胎教にとても効果があるのです。

にっぽんのお産
田畑ツルさん

北海道、知床、ウトロ 明治44年生まれ 青森県出身
インタビュー/2002年、2月 92歳

●北方の漁師の妻
 北海道、知床。冬には遠くロシアから流れてくる流氷が接岸する町、ウトロ。そこに住む92才の田畑ツルさんを訪ねた。
 田畑さんの家は、海岸線に沿った道路の傍らにある。ときは2月。その日、その年はじめて流氷が着岸した。日中でも氷点下五度くらいの気温で、目前に広がる海は真っ白だ。
「台湾から来たお客さんが『ずいぶん広い畑ですねえ』と言ったという笑い話が残っているんですよ」と、バスの運転手が教えてくれた。沖から流れてくる氷は、波によってどんどん浜へ押され、その上に雪がつもって一晩で凍る。すると白い氷の海原が、沖合い3キロほど先まで広がっていく。凍った流氷の上は、歩けるほどだ。
 明治44年生まれの田畑ツルさんは、漁師の妻。きっちりと着物を着こなしている姿は、かくしゃくとしている。洋服というものを着たことがないという最後の世代だ。10年ほど前、夫に先立たれ、今は息子夫婦と孫夫婦に囲まれた生活をしている。
「青森で生まれました。父親が漁師で。学校出てから、戦前ね、夜行列車に乗って、青森から上京して仕事に行ったことあるの。東京の葛飾の紡績工場。集団で働きに行きました。いくらもらってたかねえ、氷水が二銭のころでしたから。なんぼももらってなかったんでないの。仕送りはしてませんでしたあ。葛飾というところは、たいした田舎でしたよ」
「青森の家族がカラフトへ移住するというので、私も青森に戻って家族といっしょにカラフトに渡りました。父親はカラフトで漁師をしていた。マオカという町からしばらく行った村で結婚しました。夫も漁師です」
 ツルさんは、昭和7年から27年までの20年間に、11人の子どもを産んでいる。カラフトで9人の子を出産。終戦後、北海道に引き上げてきてから、さらに2人の子をもうけている。
「私はお産でおなかとか腰、病まない(痛くない)の。ほかの人はわかりません。あまりそうした話は、ほかの人と話さないから。産まれるなあと思ったら、おとうさん(夫)に、産婆さん呼んでもらうの。カラフトにはちゃんとした産婆さんがおりました。免許もった人ね。カラフトは当時、日本の領土だったから、みんな日本人」
 今は異国のカラフト。戦前までは日本だったと言われてもピンとこない。けれど、第2次世界大戦が終わるまで、カラフトの住人はみな日本人だった。住民の多くが北海道や東北からの移住。カラフトはもちろん寒さは厳しいかったけれど、当時は食料もあり、安全で豊かだったという。
「産婆さんに電話で連絡してもらったこともある。たいていは、生まれてから産婆さんが来たが(笑)。ええ、ひとりで産むんですよ。なあんも恐いことなんかない」
 いつも不思議に思うのだけれど、この時代の女性たちは、みなこのようなことを言う。ひとりで産むことに、なんの躊躇もためらいもない。今の時代、女性たちがそうした発言ができなくなってしまったのは、いったいどうしてなのだろう。
 カラフトの家は居間が板の間で、座敷は畳みというモダンな家屋だった。お産は座敷に布団を敷いて、立てひざのような姿勢で産んだという。
「べつにだ〜れにも教わったわけでない。自分でできるんだね。産婆さんは生まれてから来て、臍の緒を切ってくれて、赤子を湯に入れて。湯はわざわざ湧かしたわけでない、いつもストーブの上で湧いているんだ」
 産婆は、産後一週間ほど通ってきてくれたという。
「まわりの人たちも、みんなその人に頼んでいました。当時、いくらでしたか、五円くらいでながったかなあ。町には先生(医師)もいましたよ。おなか切れる(帝王切開できる)先生ね。だども、先生に頼むと倍くらいかかったから、10円くらいね、みんな産婆さん、呼んでました」
 部屋には薪ストーブがあり、その上で常にお湯が湧いていた。古い浴衣でつくった手製のオシメも、その湯を使って洗ったという。「冬でもな〜んも寒いことはない」と、ツルさんは笑うが、真冬は氷点下30度にもなる。今とは違い、断熱材の入っていない小屋で薪ストーブがひとつあるだけだ。
「薪は、お父さんが冬の間(漁に出られない期間)に山に行って集めてくるのさ。1年分の薪だから、3月くらいまでかかる」


 
●カラフトでの生活
 カラフトでは雪の中、医者を呼ぶときは、ソリを出したのだそうだ。
「ソリをもっていって、それに医者を乗せて運ぶのよ。呼びに行った人が、それをひっぱった。人力よ。産婆は歩いてきましたねえ」
 ツルさんは、あまり母乳が出たほうではなかったと言う。
「おっぱいの出ない人は、生の米をうるかして(水にしたして)、擂り鉢で擂って、それを炊いて水で冷やす。それで、とろ〜っとなるんだね。それに砂糖を入れて、ガーゼで漉して、飲ましたもんです。冷やす前に砂糖を入れると、透明になってよくないの」
 冷やしてから砂糖を入れると、白いどろっとしたミルクのような液体になるという。当時はミルクの配給がなく、子どもが生まれた人には、砂糖の配給が余分にあったのだとか。それでツルさんは、
7人の子を育てている。
 漁師の妻たちは、子育てをしながら夫の手伝いもしていた。ニシン、マス、サケ、スケソウダラ、カニがよく捕れた。水揚げされた魚を陸で捌くのは女の仕事だった。ほかにもツルさんは、山を開墾してつくった畑で夏場には野菜もつくっていた。
「野菜はいろいろ捕れましたよ。白菜はだめね。ころっと丸くならない。きゅうりも捕れなかったんで、きゅうりの変わりにトマトの糠漬け。トマトは赤くならないから、青いトマトのこうこ(おしんこ)ね。女の人の中には、子育てが大変だからと畑をやらない人もおったが、私は子どもが腹をすかして欲しがるのがいやだから、畑をやって野菜をつくったの」
 子を産み、育て、漁の手伝いと畑仕事。とにかく働き者である。だから丈夫で長生き。92才の今も、「医者にかかることはない」のだそうだ。



●カラフトからウトロへ
 戦争中、マオカはロシア軍の爆撃に合うが、食料に困るようなことはなかった。ところが、終戦後にロシア兵が上陸してきた。
「だども、ロシア人はわりかた悪いことはしませんでしたよ」と言う。実は田畑家は、上陸したロシア人の母子に部屋を貸して、共同生活をした経験をもつ。20年に終戦を迎え、カラフトの日本人は順次、引き上げ船で国内に引き上げていったけれど、田畑家は比較的遅く、23年までカラフトの地で生活していた。
 この間、ツルさん家族は辛い体験をしている。次女が17才のとき、学校で転んだ傷からばい菌が入り、破傷風で亡くなった。村には病院がなく、救急車でマオカの病院に運び、入院して手当てを受けたにもかかわらず、かなわなかったという。その次の年には、6才の息子を亡くしている。ツルさんは、そのことについてあまり話したがらなかった。実は、亡くなった子どもたちの年齢もはっきりは覚えてはいなかった。遠いかなたの辛い出来事だった。
 引き上げの2ケ月前、9番目の子どもが誕生。その子を抱いて、1家9人、引き上げ船に乗って、函館へ引き上げてきた。函館には、身寄りのない人たちのための簡易宿泊施設に身を寄せる。多くの人たちが、本州の炭坑へ紹介され北海道を離れていったけれど、夫の「漁師でありたい」とう願いから、道北へ希望をつないだという。オホーツク海に面した斜里まで列車に乗り、海路でついの住処となるウトロへ入った。
 その後、2人の子を出産。当時のウトロには産婆がいなかったので、とり上げ婆さんを頼んだという。
「とり上げ婆さん、ゴライさんという人。農家のおばあさんでした。そのゴライさんが、村の全部のお産をとっていました。お金を払いましたよ」
 ウトロは、カラフトよりずっと田舎だった。ウトロに電気がついたのは、一番下の子が生まれた昭和27年ころ。それまでは、配給になっていたイワシの油をホタテ貝の殻に入れ、そこに芯をさして灯明(照明)にしていたという。昭和35年ころに、斜里からの道路が開通し、ようやくバスが通るようになった。それまでは町との往来は主に船。その船も流氷のある冬場にはもちろん不通になる。
「今の漁師は楽だでなあ。土日、祝日は休みやけ。昔は、休みなんてながった。冬場は薪を採るので忙しい」
 そんなおばあさんの辛口発言を、同居の息子と孫婿が笑って聞いている。彼らがその現代の漁師。ツルさんの父親の代から数えると4代続く漁師一家である。
「1週間ほど前なあ、だあれかが昔の話さ聞ぎにぐるって予感がしててさ、来られたらどーしようがと思ってたのさ」
 ツルさんは、別れぎわにふっとそんなことを言った。勘は当たったのだった。

トピックス
ライフスタイルとしての「原発自主避難」 アンケート調査

3.11の東日本大震災による、福島第一原子力発電所の事故発生のニュースは、福島県の人々だけでなく、近隣県や首都圏に住む人々にもさまざまな思いをもたらしました。原発事故後、とくに妊婦さんや幼児をお持ちのご両親たちは、不安を抱かれたことと思います。
  
私は出産・育児の環境を研究する研究者として、原発事故後に住む土地を離れ、日本の西や南、あるいは海外に、一時的(なかには永住的)に避難された方々へのアンケートおよび、行動調査を行うことを考えました。この調査研究することによって、国策としての原発がもたらす日本の環境と将来像を、子どもを持つ親たちがどのように捕らえているのか、明らかにしたいと思います。

ともすれば避難は、日常生活からの逃避や、原発の風評被害を煽る行為だという批判も聞こえてきます。けれど、原発事故にいち早く反応した妊婦さんや赤ちゃんの両親たちこそ、日本の環境に対してしっかりとした考え方を持っているのではないか、と私は仮説をたてました。実際の行動様式とその動機となった考え方やライフスタイルを聞き、まとめることによって、原発が存在する問題点と、子どもが育つ環境への親の思いを明らかにできるのではないかと考えています。

この調査は、私、菊地栄個人の社会デザイン研究のためのものです。本調査で得られた結果はまとめ、将来、私の参加している学会で発表、または論文にする予定ですが、個人情報をご本人の同意なく公表することは一切ございません。万一、個人が特定される場合には、事前にご連絡して、了解を得ることをお約束いたします。よろしくお願いいたします。ご協力、心から感謝申し上げます。

アンケート内容につきましては、こちらをクリックしてお答え下さい。
携帯の方はこちらからお願いします。



菊地 栄    社会デザイン学研究者、聖隷クリストファー大学非常勤講師

にっぽんのお産
皇室の出産

「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎。人呼んでフーテンの寅と発します」
――― 山田洋次、映画『男はつらいよ』


「私は人間の可能事の涯への旅を体験と呼んでいる。人間は誰しもこの旅をしなくてもすむことはすむ。だがひとたびこの旅を行うとなれば、可能事を限っている既存の権威や価値の否定が当然のこととして前提されるだろう。他のもろもろの価値の、各種の権威の否定であるゆえに、内的体験は積極的実存性を持ち、それ自身積極的に価値となり、権威ともなる」(バタイユ:1943、p29)
――― ジョルジュ・バタイユ


まえがき

 2006年9月6日。ひとりの赤ちゃんが誕生し、号外が街を飛び交った。その日の朝、東京都港区の民間病院の前には報道陣が押し寄せ、その瞬間を伝えるために待ち構えていた。8時27分、その赤ちゃんは手術室において帝王切開で生まれた。体重2558グラム。男子であった。親王誕生である。
この誕生は「男子である」ことが集中的に報道された。英国のメディアは「It’s a boy」と伝えた。

1.ロイヤル・ベビー誕生
 誕生の直前まで、NHKのニュース番組では、民間病院の見取り図が指し示され、手術室と産婦の夫が待機する部屋について解説がなされていた。手術の執刀医が病院長であること、手術の時間が何分くらいかかるかの予想時間と、夫が病院に到着する模様が伝えられた。夫は7時過ぎに車に乗って自宅を出、病院には7時10分に到着した。後から、手術は8時過ぎにはじまり、同27分に帝王切開で赤ちゃんが誕生したことが伝えられる。母子はすこぶる元気であり、母親は医師に「気分は良好です」と伝えた。手術室から出て夫に面会した妻は、「帰ってまいりました」と話したと伝えられた。
 その日の各新聞の1面の見出しに並んだ言葉は、「紀子さま男子(児)ご出産」「皇位継承第3位」「2558グラム」は5紙(朝日新聞・中日新聞・毎日新聞・日本経済新聞・中京スポーツ 共に9月6日夕刊1面) 中全紙、「41年ぶり」4紙、「母子ともに健康」「帝王切開」3紙、「秋篠宮家第3子」2紙、「元気な産声」1紙となっている。5紙すべてが伝えた見出しは、「紀子さまが皇位継承第3位である男子を出産、2558グラム」である。出生体重は、生まれた赤ちゃんが元気であることを示す数値である。現代の産科学、新生児学では、2500グラム以上を新生児の適正体重としている。2500グラム未満であると「低体重児」とみなされ、必要によっては保育器に入り管理される。「母子ともに健康」という言葉に加え、出生体重が2500グラム以上であれば、母子の健康については心配ないことが保証されたことになる。
これまで41年間に皇室では9人の女子が誕生しているが、「41年ぶり」の言葉からは、待ち焦がれたというニュアンスが読みとれる。「男子誕生」は家父長制社会の中では重要な役割を担ってきたが、少子化社会の中では一般には男子より女子の誕生を願う人の率のほうが高いとする調査もある。しかし、今回の皇室における男子誕生とその報道においては、「男子であること」が最大の重要事項であり、関心事となっている。こうした報道や社会の反応が男子ではない女性や、男子を産まなかった人々、子どもを産まない人々、および社会全体にどのような影響を及ぼすのかという議論はほとんど聞かれない。しかし本論は、「出産」という限定された事象に焦点を当てることが目的であり、跡継ぎ問題、家父長制の中における「出産」、および結婚した女性に期待される母というジェンダー役割などに関してはほかの研究を待つことにする。


2.皇室にみる誕生の場の意味
 このたびの平成の親王誕生では、「出産」においてこれまでとは異なった現象が見られた。ひとつは出産場所であり、ふたつ目は出産方法である。
出産する場、赤ちゃんが生まれる場は、歴史的に大きく変遷してきており、歴史家たちが好んで取り上げるテーマである。またこれは社会階級によっても大きく格差が見られる事象でもある。出産場所については第2章で詳しく検証するが、天皇家や皇族の出産に関しては、古く平安時代の様子が文献に残されている。皇族の出産は平安時代から屋内で行われ、当時の座敷で布団を敷いて行われた。医学的<まなざし>が登場する前の出産は自然分娩のみであり危険も多く、赤ちゃんやときには産婦自身が命を落とすこともあった。それを回避するのは宗教的な祈りや呪いであり、公家の出産には多くの僧侶や修験者、陰陽師が動員されたという記録が残っている(紫:1964,p12)(國本:1996,p127)。
現在の天皇陛下が誕生したのは昭和8年、皇居内の「産殿」と呼ばれた部屋であった(中野文庫ホームページ 2006.12.25)。戦前までは都市部においても山間部においてもほとんどの人々が自宅で生まれるのが通例であった。
 その子である皇太子と秋篠宮、紀宮妃は、皇居内の宮内庁病院で生まれている。皇后は初の民間出身の妃であり、それまでの皇室の慣例を改め自身の手で子育てをしたとされている。現天皇とは時代が変わり、皇太子が生まれた昭和35年はおりしも、全国の出産の半分が自宅から施設に移行し、出産の第二次近代化がはじまりだした時代である。時代はさらに下り、秋篠宮妃が長女、次女を出産したのも宮内庁病院である。皇太子妃もまた、長女を宮内庁病院で出産している。
 そしてこのたび、天皇直系の親族としてははじめて民間病院での出産となった。その理由を宮内庁は、秋篠宮妃が「前置胎盤」という病的な状況にあり、出血などの危険性を考慮しての措置と発表しているが、どのような理由であっても出産・誕生の場が変化したのは事実である。この変化が今後の皇室の慣例を変えていく可能性を示している。(三笠宮、高松宮家の5人の親王妃の誕生は、宮内庁病院ではなく民間病院で行われている。皇室の中でも時代の変化とともに、皇居内の宮内庁病院ではなく民間病院での出産がなされていた。)

 ここに、皇室内における「出産」の場の意味が変化したことを読みとることができるだろう。
一般において、出産の場が自宅から医療施設へと移行したことは、出産が医療の中で行われ、妊娠・出産身体が産科学の管理下に入ったことを示すものである。皇室においてその変化はまず「産殿」から宮内庁病院への移行であった。しかし、この時点ではまだ出産の場としての装置が変化しただけであり、エリアである皇居という土地からの移動はみられなかった。このたびの出産・誕生は皇居という土地を出て、民間の病院に移行したことに大きな特徴がある。その背景として、以下のことが考えられる。

1.前置胎盤という病的な状況にあり、出血などの危険性に備え、十分に管理できる設備として
民間病院が選ばれた
2.生まれてくる赤ちゃんに万一のことがないように、またどのような状況においても
  赤ちゃんを処置、対応できる設備(NICU)を備えた施設である
3.すでに三笠宮家、高松宮家の5人の親王妃が民間病院で生まれている
4.設備が整った民間病院での出産のほうが、より安全であると宮内庁および、
皇室内でコンセンサスが得られた
5.医師団のすすめによる

 これらは推測の域を出ないが、確かなのは、今回の出産・誕生が皇室エリアとしての皇居を出、民間の場所にある病院という装置へ移行したことである。これは親王の誕生という「場」として閉ざされた神聖な場である皇居が意味をもたなくなり、安全を確保できる民間病院という装置に意味が見出されたということになる。人間が誕生する「場」としての社会的文化的意味は、皇室においても産科学という科学的技術にその価値が置き換えれたと言える。


3.帝王切開の意味
 「皇室初の帝王切開」もマスコミで大きくとりあげられた。帝王切開は現在日本では、出産全体の12-15%と言われており、近年その数値は上がっているものの、世界の先進諸国と比べると低くとどまっている。しかし20年ほど前においても10%はあったことから、むしろ皇室で初の帝王切開という事実は、皇室がこれまでいかに健康な妊婦に恵まれてきたのかがわかる。別な見方をすればむしろ、自然分娩にこだわってきたのではないかと思えるほどである。
 このたびは「前置胎盤(胎盤が子宮口の全部または一部を覆う状態。低置胎盤、頸管胎盤は含まれない 日本産婦人科学会:1997,p117)」という診断により、自然分娩が不可能なことによる計画帝王切開であった。計画帝王切開とは、自然分娩が不可能と判断された場合に事前に手術日を決めて帝王切開手術をすることだが、皇室における「はじめての帝王切開」は、手術による出産という意味と、もうひとつ、誕生のその時を自然に任せるのではなくあらかじめ日が決められた計画的出産であるという意味をもつ。
 新聞記事は主治医である愛育病院院長によるコメントを載せ、前置胎盤が重篤であったことを出産後に発表している。秋篠宮妃が公務で負担がかからぬよう配慮し、前置胎盤であることを事前に公表するに至った経緯を述べている。
 「いい患者さんでした」と院長は感想を述べた。このコメントには患者を見守る温かいまなざしが表現されている一方で、質のいい患者モデルとしての評価がこめられている。ここで指摘したいのは、医師による診断や処置の結果ではまったくない。問題は医師による患者モデルへの<まなざし>および、こうしたコメントがマスコミを通じて報道されることによる一般への影響である。
 妊娠中の公務のあり方は「医師の判断」にゆだねられ、決定された。入院のタイミング、入院後の生活の仕方、その態度まで「医師にゆだねる」とする報道は、妊娠・出産身体がすべて医師の管理下にあり、その管理に従順であった人が「よき患者モデル」とされることを示している。こうした報道は、一般の妊婦やその家族に、医師および医療に従順であることの規範を示すことになり、これまでの言説をより強化することになる。
 このひとりの女性の出産とひとりの赤ちゃんの誕生は、現代の出産事情を象徴的に現している。





野生と性といのちの誕生
野生と性といのちの誕生INDEX

「血液のついていない赤ちゃん」
お産の智恵
つるんとした赤ちゃんの誕生
0-1 手乗り baby.jpg会陰切開という儀式

「セクシーなお産」
セクシーホルモン
ベッドルームのような分娩室
快い痛み

「野生と檻の関係」
アマゾンのジャングルで
人間動物園
野生の部屋

「お産のヒューマニセージョン」
出産のヒューマニゼーションに関する国際会議
人間的であるということ
電脳の海に母はいるか

「養子アメリカ」 〜映画『Casa de los Babys』によせて---アメリカの生殖産業と新たな母性
女性のキャリアと不妊の関係
養子縁組は子どもをもつためのオプションのひとつ?
生殖産業ビジネスの中の新たな母性




野生と性といのちの誕生
生殖産業ビジネスの中の新たな母性

 この映画『Casa de los Babys』の登場人物たちはそれぞれに事情を抱えている。不妊治療を長年続けてきた女性、障害をもった子どもを3人産んだ女性、レズビアン、シングル。彼女たちが養子縁組を選ぶまでには、たくさんの葛藤を経てきているのだろうけれど、それでもなお胸のうちには「いい母親になれるかしら」という揺れを抱えている。そこには、自分のDNA をもたない子どもとの偶然の出会いを受け入れられるかという不安や、子どもを産むことができない自分への苛立ちも含まれている。

 アメリカで私が聞いた範囲内では、養子をもらった親たちはみな「私の子どもであることに変わりはない。ほんとうによかった」と口をそろえて言っていたけれど、子育ては親の描く夢どおりになるとは限らない。
 養子縁組みが一般的に行われている背景には、日本とは違う家族観がある。個人を尊重するお国柄ということもあり、日本のようにまわりがとやかく言うことは少ないし、子どもにも養子であることを伝え、オープンな家族関係をつくりやすいこともそのひとつ。
 アメリカはファミリー思考が強い国でもある。夫婦はつねにいっしょに出かけ、パーティーなどもカップルで参加するのはあたりまえのこと。結婚して子どもができると、仕事より家族を優先する人はとても多い。そうした強いファミリー思考が、不妊の女性にプレッシャーをかけている部分も垣間見られる。

 養子縁組や卵ドナー、代理母出産とオプションが揃っているアメリカのこうした実情は、生殖産業のビジネス化をもたらした。科学や情報が発達した現代だからこそ、授精がビジネスになり、遠い国の子どもとの養子縁組も可能になった。便利で合理的ではあるけれど、その中にまた新たな母性の形が生まれ、女性たちの気持ちを揺さぶってもいる。

野生と性といのちの誕生
養子縁組は子どもをもつためのオプションのひとつ?

 アメリカは元々、移民の国であり、歴史の中で人種が入り交じってきたということもあって、親子関係においても血縁より絆を重視する人たちは少なくない。経済的な余裕があるカップルなどは、自分たちに子どもがいても、人種の違う養子をもらうということはよくある。

 不妊治療のオプションとして、あるいはキャリアを積んだシングルの女性、レズビアンやホモセクシャルのカップルたちが、養子をもらい、ドナーによる体外受精や代理母出産を選ぶケースもみられる。

 養子縁組は専門のエージェントによって行われ、インターネットにはたくさんのエージェントが情報を提供している。国内の養子縁組もあるが、白人の子どもの数は少なく、アフリカ系や外国の養子に比べて紹介料は割高。そうしたことから、現在は南米、中国、ロシアなどからの養子が「流行り」という言葉さえ聞かれる。

 一方、これらの国々では、家や身寄りのない子どもたちが孤児院などで生活し、育ててくれる親を探している。養子縁組は、そうした子どもと大人を結ぶ大切な道ではあるけれど、実際には民間のエージェントが仲介し、半ば人心売買的な要素が感じられなくもない。

 この映画『Casa de los Babys』では直接触れられていないが、彼女たちは南米の国に渡る前に、アメリカ本国でエージェントとやり取りがあり、少なくとも10000ドル以上のお金を支払ってきたはずだ。しかも、このコストには南米での滞在費は含まれていない。それでも、こうした費用のすべてを合計しても、体外受精や代理母出産を何回もトライするコストよりは割安なのである。


































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